22/05/09
5/14 アンジュルム CONCERT TOUR ~The ANGERME~
ハロープロジェクトのファンクラブ先行チケットには「地元枠」がある、とまことしやかに囁かれている。「地元枠」とは、自分の地元(現住所)付近の会場で行われるコンサートのチケットは良い席が来やすい、といったものだが、そんなものを信じている人が居るなら私のチケットを見ろ。この2階席のチケットを。
かのマーガレット・サッチャーが放った「社会などというものはない(there is no such thing as society)」という言葉は人々に強烈なインパクトを与えるとともに彼女の象徴とも言える言葉となった。そして、彼女に倣って言うならば「地元枠などというものはない」。
しかし、2階席でも2列目のセンター寄りだったのでまぁ妥協できるかなといった感じ。というかそうするしかない。そうやって自分を納得させなければコンサートなんて楽しめない。人生だってそうだ。自分の機嫌は自分で取るしかない。前まではとんでもないハズレ席に割り振られた人が「行けるだけいい、コンサートに参加することに意味がある」といった旨の発言をしていることに対して、ただの虚しい言い訳じゃないかと思っていた。しかし、それは自分を納得させるための術だったのだ。もちろん良い席の方が良いに決まってるし、そう考えると先の発言は虚しい言い訳に他ならない。しかし、同じ言い訳にしてもこれを理解してるかどうかでまた意味が違ってくる。私は今回それを理解してコンサートに臨むことができた。
仙台に着くなり、ドトールでアイスM(店員の方々がアイスコーヒーのMサイズのことをこう略す。この店では注文の確認の際になぜか「真ん中のサイズですね?」と聞かれた)を頂く。最近はほぼ毎日外でコーヒーを飲んでいる。一番行っているのが歩いて15分くらいのところにあるイオンのフードコートだ。しかし、土日は行かない。なぜなら土日と平日ではハロプロのコンサートとM-lineのコンサートくらい客層が違うからだ。ただ、このコーヒーを飲みながら読書をする習慣は今のところかなりプラスになっている。
今回は仙台サンプラザホールではなくトークネットホールという仙台の市民会館でコンサートが行われる。仙台駅からは割と遠い。この日は青葉まつりという催し物があって人が多いかったのと交通規制があったらしい。昼食には洒落たデパートの地下にある北京餃子という町中華食堂っぽいとこで木須肉にライスとスープセット、餃子を食した。うまいしこれで1000円切るから満足度高い。木須肉(キクラゲと卵の炒めもの)は今自分の中で一番好きな食べ物かもしれない。
この日の店選びにはあまり時間がかからなかった。なぜなら食事における指針ができたからだ。何かをするにあたり、ロールモデルがいるとかなり楽だ。私は食事に関しては玉袋筋太郎さんに影響を受けている。彼がYou Tubeの動画でマックのドライブスルーに行くという企画でフィレオフィッシュを旨辛にしてくれとお願いしたがそれはできないと断られた一幕は私の行動にポジティブな効果を与えてくれている。かなり気が楽になった。最近人に何か言われてもあまり考え込まないようになった。こんくらいの気持ちでいい。あと、彼が出演している町中華で飲ろうぜという神番組も影響を受けている。
最近どこいっても値上げの影響が出てると感じる。たった五十円上がるだけでも我々の購買行動に与える影響は大きい。何より物価は上がっても我々の所得は変わらないままというのがイカれてる。私は来年度からおそらく会社員になるのだろうが日本の未来は決して明るくない。世界が羨むどころか、憐れむ対象になるのかもしれない。ゼミの先生等に海外に出たほうがいいとしきりに言われるがそこまでのやる気は残念ながら持ち合わせてない。
開演まで時間があったのでふらふら徘徊していると、たまたま野中神社という先日のモーニングコンのMCで話に出てきた神社を見かけたので参拝。縁結びの神社らしいがおみくじは末吉。まだ時間はあるが会場へ向かう。
ライブ開演までのタイムマネジメントで暇を潰すという言葉が頭に浮かんだ瞬間にやはり何をしても満たされなくなる。そこで自分がどツボにハマりかけてるな(暇と退屈の倫理学が浮かんだ)と感じ、自分のその場の感性に任せて何となく店に入ったり、今回なら野中神社に参拝するとかいい感じに時間を使えた。これは忘れちゃならない。
会場につき、数分で入場。ポスター目当てでアンジュルムの新譜を購入¥2200。席に着くと、2階席の柵がちょうどステージの淵と被っていて、視界がステージのみにフォーカスできそうな席だったので案外悪くないなと感じた。
では、ライブの中身の話を。
アンジュにはヲタク感情あんまない。こう言うとネガティブな意味にとらえられちゃうかもしれないがそうではない。ヲタク感情よりもグループ愛が勝つという意味だ。その分アンジュルムというグループのコンサートを楽しめた。前半は最近のアンジュ路線って感じのセトリで終盤の大器晩成→46億年LOVE→愛すべきべきHuman Lifeの流れが最高だった。やはり愛すべきべきHuman Lifeは名曲だ。
コンサートのハイライトは、わかなちゃんmcで今日の弁当ステーキか牛タンだったんだけどじゃんけん負けてステーキになっちゃったら鈴ちゃんが牛タン一枚くれたって話をして、その後に鈴ちゃんが橋迫軍団の団長として団員に牛タンあげるのは当たり前だって言って会場を一気に沸かせた。その流れから橋迫軍団に対抗して竹内軍団が結成されたのもとても面白かった。あと、莉佳子の1人MCで地元気仙沼のおすすめグルメ(バナナジュース)を紹介しようとするも店名を忘れ、地元民しか知らないような店を目印に説明しようとするがほぼほぼ伝わらずに失笑になった部分もらしさが存分に出てて微笑ましかった。
グループの雰囲気もとても良かった。みんなイキイキしてたし元気をもらえた。かわむーのハーフツインテールが可愛かった。平山遊季ちゃんが新人とは思えないくらいグループの一員として馴染んでいる。なんなら三食団子の方が後輩感(というか下っ端感)ある。まぁ微笑ましい。
楽しかった。これぞまさしくBIGLOVE、といった感想。
22/05/01(日)~07(土)
この期間は世間一般ではGWなのだろうが大学四年生ともなれば平日も休日もほぼ変わりやしない。ただ人通りがやけに多くてそれだけは気分がいいものではなかった。この期間に月末に行くアットジャムのチケットを発券したが整理番号は300番台でどうなんだろうって感じだ。あと、初めてアイドルフェスに行くもんでそれもやや不安要素というか勝手が分からないので想像がつかない。入れ替えがあるとか最前管理がどうのこうのとかよく分からん。調べてみたけど検索して出てくるようなもんではないらしい。まぁどうなろうと楽しむ気持ちだけ持っていれば大丈夫だ。アンジュとつばき武道館は目を引ん剝くレベルのハズレ席だった。ただシステム上どっかで採算が取れるというか、平均値に収束するんだろうからあんま気にせず行こう。そういや宝くじは買えば買うほど30%の利益に近づくんだとか。どんだけ買っても30%は戻ってくると考えるか、なんでそんなに30%に近づくシステムなんだろう?ってことは宝くじに夢なんてない……と考えるかは人それぞれ。まぁ私は買わない。
もう一か月になろうとしている筋トレ生活だが着実に成果が出ているのを実感している。それを実感できるのは間違いなく懸垂のおかげだ。周りの人にも筋肉ついたねと言われる。何より自分が一番それを感じている。筋トレをしていて良かったのは、私が元々出不精でその理由に色々やらない言い訳を考えることがあったのだが、筋トレによってとにかく行動するという習慣がついたので筋トレの習慣だけでなく出不精も改善した。よく筋トレが鬱に効くとか筋トレがすべてを解決してくれるといった文言を目にするが、その背景について、自身も筋トレしている千葉雅也氏のコラムを読んであぁなるほどなと理解できた。
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僕は今の筋トレブームに対しては、すごくアイロニカル(皮肉的)で懐疑的な見方をとっています。グローバル資本主義が激化して、自己責任プレッシャーが強まっているネオリベ(国家による個人や市場への介入を縮小し、個人の自由や市場経済を重視する思想)的な世の中で、自分に自信を持つため、あるいは不安を否認して目をそらすための技法として筋トレやマインドフルネスといった、自己に集中するタイプの技術が人気になっているんだと思うんですね。
急に予測不可能にビットコインが下がるとか、変化が非常に流動的で明日どう変わるかわからない世界にいると、人は自分に近い場所で何か確実性を担保しておきたくなる。それを非常にプリミティブ(原始的、根源的)に実現してくれるのが、筋トレなのではないでしょうか。
―自己啓発系の筋トレ本などで見かける「筋肉は奪われない」「筋肉は裏切らない」といった言葉は、そうした欲求を言語化して煽るものである、と。
千葉 そうそう。グローバル資本主義の厳しい自己責任的な世の中で、原始的に頼れるのが筋肉の成長可能性だから、「筋肉は裏切らない」なんですよね。ただそこでも残酷なことに、筋肥大には遺伝的な素質があるので、どこまでできるかは人によって違いがある。そこをちゃんとごまかさないトレーナーもいるけれど、「誰でも頑張ればすごい体になるんだ」と幻想を説く人もいる。それはまさに「みんなも頑張ればすごい金持ちになれるかもしれないぞ」という考えと、まったくイコールじゃないですか。本当はそんなことはなくて、その人が属している社会的なさまざまな条件や状況によって変わってくる。努力が確実に実を結ぶかどうかなんて、保証されていない。それは筋トレも同じで、努力してどこまでいけるかはわからない。
だから、「筋肉は裏切らない」というのは、今の社会状況を否認するための悲痛な叫びだと僕は思いますね。それでは結局、資本主義の巨大な動きに従属して踊らされている、被従属的な身体なんです。筋肉をつけて確固たる自分を確保しているように見えるかもしれないけど、実際は他律的に身体をつくっている。
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自分自身が今筋トレをしている一番の理由は何だろうと考えるけど特に深い理由なんてなくて、多分自分が何となくできることだからやれてるんだろうし続けられてるんだろうなと感じる。誰かと競うわけでもなく徹底的に自己目的的かつ自己満足。だから、セット数だとか私はこうしているみたいな他人のやり方を見ると一気に続かなるだろうとも思う。例えば自分の中の師がいればそれを真似る、もしくは習うようにすればいいのだろうがそうでない人たちについて積極的に自分からアクセスする必要はない。先にも上げたように誰かと競うわけでもなく徹底的に自己目的的かつ自己満足。これはなんだかんだ自分が行うことのほとんどに通じるだろう。この精神を忘れないで行きたい。
この一週間のざっとした記録。
22/04/24(日)~30(土)
4月20日から現在進行形で筋トレというか運動をやっている。ここ最近肉離れを起こしたが、それまでは肺活量と心肺機能の強化を目的にインターバルランニング、全身運動として懸垂という2種目を主にやっていて、今は懸垂をメインに鉄棒で上半身の運動を行っている。私の目標はビルダーのようなボディーではなく、体操選手のようなボディーだ。自分の体を自分で支える。これは思ってる何倍も難しい。格闘技経験のある私でも体操選手のやってることはかなりすごいと感じる。もちろん種目ごとの特性の違いがあるがトレーニングの動画などを見ているととても憧れる。しかし、残念なことに世の中には吊り輪やマットが敷かれた広い空間、あん馬はまぁ置いてないわけで。最低限それに近いもので、一応高校のとき得意だった懸垂を公園の鉄棒(それも子供用でかなり低い)でやっている。低いことにもメリットがあり、それは自然と足を前に出さざるを得なくなり、いわゆるL字懸垂という体幹や腹筋も同時に鍛えられる種目をできるようになる。多分みんながよく想像する腹筋運動の何倍も効く。と、そんな具合で筋トレというか懸垂をやっているのだが、これにはもう一つ理由があり、それはメニューを考えるのがめんどくさい、というかもっと広く言えば、なんとなくこうなりたいってのはあるけどその過程を考えるのがめんどくさくなっちゃうという理由だ。例えば私はお金持ちになりたいと考えているが、そのためにはどうするかという具体策を考えるようなことはせず、結局働くことでお金を得るという結論を出す。実際は安易な発想だが株であったりいろいろな方法がある。しかし、結局やらない。他にも、携帯電話を機種変更しようと思った際、大手キャリアで契約するよりも格安シムであったりを契約したほうが得だってのはなんとなくわかる。でも、めんどくさいから結局モヤモヤした気持ちを残しつつ大手キャリアで機種変更を行う。なぜなのか。ここには、めんどくささについてフォーカスすべきではないかと感じる。
ここ最近(このテーマの期間とは異なる)自分について考えるが、自分は、現在なんとなくできることの積み重ねで生きているんだなと感じる。フーコーの考古学的な視点で自分史を考えたときだ。なんとなくできるようになったのは偶然の重なりであり、現在のわたしからしてみればなんとなくできることでしかない。成功に固執せず、今の自分にできることを起点として日々を送っていく。そして、私のような人間が何かしらの結果を出すには習慣化しかないと思う。フィリップ・トルシエ監督が言うようなオートメーションを生活に導入する。とりあえずやってみる。
そんな感じで今考えていることの軌跡を示しつつ4/24(日)~30(土)の日記をコピペしていく。ここに出てくるのはほとんどが千葉雅也氏の現代思想入門をよんで考えたことであるので説明が抜けている部分はだいたいその本のことだと思って読んでいただきたい。
22/04/24
22/04/25
22/4/17(日)~23(土)
4/9(土) つばきファクトリー CONCERT TOUR ~PARADE~,モーニング娘。'22 CONCERT TOUR ~Never Been Better!~
最近Instagramを見ていると就活がらみの投稿ばかりが目に入ってくる。おそらく私が登録した個人情報によるサジェスト機能なんだろうけど。それにその中身はたいていが「○○について調べてみました!」系のしょうもないWEBサイトと同じ匂いがする。こういうWEBサイトをみても得られるものなどない。時間の無駄だったという後悔だけが残る。Instagramでいうとファッションの裏技とか美容関係の知らなきゃ損だよ的な投稿も目に付く。これらの投稿から得られる小手先のテクニックが長期的に自分にとってプラスになるかと言えばもちろんNOだ。急がば回れとよく言うが全くその通りで、こういうプラスチックな知識よりも自分を成長させるのは、自分自身で実際に体験することや自己や他人、そして本などを通した対話である。だから私は今日も出かける。出不精な私だが出かけることで得られることというのは非常に多い。出かけるのが億劫な人間が出かけるには、何か出かけなきゃいけない理由を付けるか、もしくは自発的に出かけたくなるような趣味を持つかだ。幸い私にはアイドルヲタクという趣味がある。そういうわけでこの週末もアイドルのライブへと出かける。
仙台は片道一時間ちょっとで行ける非常にアクセスしやすい会場だ。昼ごはんにラーメンを食べて会場に向かう。最近はラーメンに限界性を感じてきている。もう飽きたというか。ラーメン屋にいってもチャーハンの方に目が行くようになってきている。そこのが美味しくなかった訳ではなく、しばらくラーメンはいらんなとなった。この日は昼につばき、夜にモーニングという流れ。まずはつばき、数日前に岸本ゆめのちゃんのバーイベに行ったばかりでその熱が冷めないままコンサートが見れるのはとても良かった。実際岸本ゆめのちゃんしか見てなかった。コンサートで印象に残ったのは幕間に流れたつばきヒストリー的なVTRとそれが終わってすぐにある最上級STORYの流れ。最上級STORYは今ツアーが一応初披露ぽかったけどめちゃくちゃ良かった。多好感、アッパーなポップスというアイドルに求めている要素が詰まりに詰まった良曲だった。だからなんなんだはさおりんの独壇場だった。アルバムにおいてもこの曲だけテイストが違うのだが、もちろんライブでもそうであった。とはいえ、それがいい。思いっきり笑えたし楽しかった。あとはMy Darling。自分にとってつばきと言えばこの曲になっている。そのくらい好きだ。あとは全体を通して思ったのが、9人時代の曲は樹々ちゃんパートの多さだったりセリフパートが目立ったが2nd STEPからは岸本ゆめのちゃんの方が歌唱においてメインになることが多く、2nd STEPは爽やかなポップスで12人体制からはダンスミュージック路線なんだなーということ。先述したように岸本ゆめのちゃんしか見ていなかったから他のメンバーがどうこうってのはあまり覚えていない。でもいいライブだった。武道館もチケットとったんで楽しみだ。
モーニング娘。の単独コンサートを見るのは2019年の秋以来。実に2年以上空いた。でもあの日見たコンサートの光景は目をつぶれば今でも浮かんでくる。それくらい楽しかったし、大学時代での一番の思い出である。今回はつばきもそうだったがセトリを見ないで鑑賞するようにした。情報を遮断すれば何も難しいことじゃあない。自分の情報統制のおかげで完全に所見の状態で臨むことができた。久々の単独だと実感できエンジンがかかってきたのは中盤のメドレーあたりからか。止まらない名曲の応酬に休む暇もなかった。モーニング娘。のアルバムだと15枚目が自分の中で最強だったので、16枚目に関してはそっちの路線かーと思っちゃったし、15枚目を超えてこなかったなという印象だった。しかし、この日のライブを見て佐藤優樹卒業後のモーニング娘。としては16枚目の方がむしろ正統なんだなと感じた。15枚目の中からは邪魔しないでとかロマンスに目覚めるあたりがセトリに入っていたが、現体制化では愛してナンが悪いとかの方がしっくり来た。ってなわけで16枚目の評価が上がったというか、自分の見方が甘かったというか、そもそも披露する機会が少なかったじゃねえかというか……。あと、それでいうと新曲の大・人生 Never Been Better!とChu Chu Chu 僕らの未来はそれぞれ青春Night/人生Bluesのような路線で、今のモーニングにしっくりくるのはって視点からは、やはり後者だなと感じた。ライブを総括するとやっぱモーニング娘。ってすげーなという印象と'19の単独でも感じたことだが単独のパフォーマンス見てると自然と目が行っちゃうのは真莉愛なんだよなーと思った。つばきは岸本ゆめのちゃんしか見ていなかったがモーニングに関しては目が足りないというか。でも気が付くと真莉愛を見ちゃってる。あんなに美人なのにまぶしいくらいの笑顔を振りまき、抜群のスタイルで踊る姿はくぎ付けになってしまうのも無理はない。推し変するかってとこまで来てる。
にしてもかなり充実した日だった。自分が待ちわびていたものは間違いなくこれだったんだよと確信した。楽しかった。翌日にはビヨとjuiceが同会場であるがこの2グループに関してはもういいかなってなってる。ビヨはグループ始動のタイミングで流れに乗れなかったことが大きい。juiceに関しては今は全く興味が湧かない。お金も限られてるし今年はつばきとオチャでヲタクしてモーニングとアンジュをゆるく応援するスタイル。
次のライブはアンジュ単独とつばき武道館。楽しみ。
4/6 つばきファクトリー岸本ゆめのバースデーイベント2022
三年になってからすぐに就活について考えようとしたものの大学主催のイベントが中止になりそこから三月になるまで約一年ズルズルと引き延ばしていた。三月になってから始めればいいと自分に言い聞かせた結果、大学の就職課から送られてくるメールの未読件数は二桁近くになっていった。三月一日にようやく某新卒就活サイトに登録しようとしたところアクセス集中で登録できなかったときは焦ったというよりももう終わったなとすら思ってた。それでも就活を一か月ほどなんとなくやってみてはいるが意外と何とか言ってる。内定はあるわけではないが書類審査については今んとこ全部通ってる。その中の一つから一次面接への案内が届き、自分で日程を決められたので、どうせ東京行くならってことで完全に諦めてた岸本ゆめのちゃんのバーイベに行くことにした。
午前の面接は具体的な中身は避けるが、自己評価としては決して高くはない。質問に対するラリーは返せたが、それで精いっぱいになってた。もっと自己アピールをすべきだったなーと。まぁ初めての面接だったのでこんなもんだろう。
この二日後に落ちましたよメール来たんだけどね……。というかここで自分の人付き合いにおけるダメな部分が浮き彫りになった気がした。それは自分がどういう人間かってのを内面ではなく外面からアピールしてしまうってとこだ。どこ出身だとか何のスポーツやってたとか。こういうのがその人の魅力として認識されるのは中学生くらいまでだろう。相手に自分の魅力を伝えるには。自分がどんな人間かってのを中身からアピールしてかなきゃなんない。ESの時点ではそれができていたが、面接では緊張からか、いや、これがこれまでの自分だったからか全くできていなかった。例えば、学生生活の中でどんな経験をしたかという質問が来れば、こんな経験をしたという答えだけでなく、そこから何を得たのか、どう考えたか(それに加え、それはどれだけ企業に入ってから生かせることなのか)まで答える必要がある。自分は良く会話のラリーが続かなくなっることがあるなーと感じていたが、これを意識すればもっと改善できるんじゃないかと。これまでを振り返ると、高校は部活に入っていたのでギリ友達が出来たが(とはいえ、休日に遊んだようなことは片手に収まる程度しかない)、大学では一切できなかった。その原因となるのがこの自分がどういう人間かってのを内面ではなく外面からアピールしてしまうってとこにあるんだと思う。大学入学時にこれで失敗し、何なら三年になってから結構反省してた部分なのに同じ轍を踏んでしまっていた。今後人付き合いで意識すべき部分はここだってのが分かっただけ面接行った価値が大いにある。あと面接の答え方として、着地地点に何をこたえるべきかを見出せたのもデカい。
であと多分、これはモテ論に通じる部分だと思う。んでこういうのはもっとガシガシやって行くべきだと思う。
私の今年度のテーマは、もっと衝動的に生きていく、バンバン決断していくということだ。この間読んだ「なぜ、ついやってしまうのか」という衝動と理性ついて書かれた心理学の本があるのだが、そこでは人間には衝動的なI思考と理性的なR思考の二つがあり、それらのメカニズムや衝動が起こる理由を心理学的な面から記していた。私が考えたのは、衝動とはアクセル、理性とはブレーキのようなものなのではないかということだ。ただ、世の中の大抵のことは理性的に考えたらバカバカしくてやってらんないんじゃないかと思う。そうなると、ブレーキをかけまくっちゃってなんもやんなくなっちゃうわけで、それが人の成長に対して良いのかって考えると良くないよねと。それを頭に入れると、楳図かずお漫画ではそういうの抜きで衝動的に決断できる子供の神秘性や神聖さをテーマにしているのがなるほどなーと感じる。自分の人生を振り返っても、結局うまくいってるなと感じるのは衝動的に動いた時、というよりアクセル全開のときなきがしてならない。でもこれも神の見えざる手のようなブレーキとアクセルの絶妙なバランスで成り立ってるのかもしれないし、そこで善悪二元論っぽく考えるのも多分違う。
この本で一番しっくりこなかったのが、衝動的に動いた結果、いい結果になるときとならないときがあり、それはなぜかということについて記されていた箇所である。この本では例として、バス運転手が川にかかった開閉式の橋を走行中に手違いで橋が閉じ始めてしまい、運転手のとっさの判断(衝動的な)で閉じ始めている橋を無理やり走行し、何とか向こう側の橋に着地し一命をとりとめた例と、火事現場でとっさの判断で非難した結果、その避難場所が被害が多くなり、元居た場所の方がむしろ安全であったという例だ。この本では、これらのように衝動的な行動がもたらす結果の違いについて、かなりのページ数空いた後に結論が出されたため、この例を読んだ時点では、いやいや、結局結果論かいと思っていたが、この本の結論によると、衝動的な行動は、日常の多くの場面で行われているが、この行動自体は意識や努力を要さないため、何かしらの結果が付随してようやくこの行動を認識できるらしい。まぁ結果論っちゃあ結果論だ。この本自体、衝動買いなど衝動が支配してしまう悪い部分を改善することがテーマっぽいから仕方ない。ただ、これを読んで思ったのが「インサイドヘッド」という人間の記憶ってのは結果に美化されがちだけど、その過程では実はいろんな感情があったんだよ、みたいなことがテーマのメッセージ性が強い映画があるんだけど、その主人公の描かれ方が、衝動的な行動は努力を要さないから結果に美化されがちってのに似てるなと。あと、自己啓発本のほとんどがこれに当てはまる気がする。衝動的な行動は悪いことではないと思うけど、結果が美化されがちってのは気を付けたほうがいい。
あと、この本でもう一つ面白かったのは、人間には自由意志など存在せず、行動のあとに意思が生じるってので、実はこの本で読んだのが初めてではないんだけど(確か社会心理学講義とかいう本でも見た)、衝動的な行動にからめるとまた面白い。結局、衝動的に行動しても結果的にそれを肯定するようになっている。
モーニング娘。の名曲「I WiSH」に、人生って素晴らしい、いつかきっと納得できるさ
という歌詞があるが、これらの人生を肯定する歌詞は結局の所真理なのかもしれない。
自分で自分を正当化し、肯定する。それは人間誰しもが持つ傾向であり、そうやってみんな生きている。どんな選択をしようと長期的に振り返れば肯定できる、プラスになるんだよってことは生きてく中の様々な場面で勇気をもらえる。だからこそどんどん決断し、行動することで自分の経験値をあげていきたいなとより思うようになったわけだ。
あと一番実用的だったのは人間の脳は分離脳といい、右脳が感情を、左脳が理性を司っており、右脳は左半身を、左脳は右半身とそれぞれ逆の身体機能に付随しているらしく、それを狙ってスーパーマーケットは向かって左に商品を陳列して時計回りの導線を作ることで衝動買いをさせようとしているんだとか。そこで、自分のデスクの左側に物を置かないようにしたところ集中力が上がった様な気がする。ただ、行動心理学というのは指揮者に言わせれば何の理論もない学問らしい。まぁプラシーボ効果だとしてもプラスになってんなら別にいい。
この日の話に戻る。面接が終わったら即ハロショへ行くための秋葉原へ向かう。ヲタクの鑑だ。何も考えず買い物をしてたら5千円を超えててちょっと後悔。そして、こっちまで来たのにダルイことにひとつオンライン説明会を受けなきゃならない。実は一回大学主催の合説で聞いたのだが、企業主催の方で聞かないと本エントリーできないシステムで、ホントはもうちょい早くからやってたのだが自分のミスで申し込み忘れ、わざわざ出先で聞かなきゃいけない結果になった。めんどいのでカフェで受けることにした。オンラインの説明会は基本マイクオフで聞くんだが一応スーツ着て顔出しするのがセオリーだ。たまーにカメラオフの人もいて、そういう人はやる気ないんかな?と思ってたが、今回自分は出先かつ一度聞いたのもあってカメラオフにした。自分で経験したから分かることだが先ほどのやる気がないのかという疑問の答えはYESだ。説明会などハナから聞いていなかったかのように、ひたすらグッズを開封したり、ライブに向けてのスケジュール確認をしていた。
説明会、いや、もはやカフェでの休憩を終え、ハロヲタ新卒編は終了。本日のライブ会場がある横浜のみなとみらいへと向かう。
かなりキツキツのスケジュールで岸本ゆめのちゃんのバーイベ会場へ到着。即会場入り。
OPはOA岸本ゆめのとしてプランクトークの公開収録。会場では正直あんま見えなかったけど後日Twitterに上がってたのを見てこんな感じだったのかと二度楽しめた。事前に告知があったように歌メインらしく即パフォーマンスコーナーへ。
初っ端つばきメドレー。めちゃくちゃいい。キュートさ、カッコよさいろんな面が楽しめた。次は思い出の曲コーナー。Love take it all以外はバラード多め。Memory青春の光がめちゃくちゃよかった。First Loveを歌ったんだがこの曲は宇多田ヒカルというより大友康平のイメージになっている。ちなみに岸本ゆめのちゃんは「だ(は)ぁぁあーーー⤴」だった。松浦亜弥の「ホームにて」で涙腺が一瞬緩んだ。たまたま数日前にこの曲が入ってるアルバムを友人に借りていたので終演後即聴きこんだ。岸本ゆめのちゃんバージョンの音源が欲しいレベルに素晴らしかった。イキイキしてる人を見て元気をもらえた。
インスタやブログで体をめちゃくちゃ鍛えている報告をよく目にしていたが、やはり筋トレってのはあらゆる成長プロセスに通じる面があるのだと思う。身体を鍛えるってのはそういう点ではメリットがある。余談だがゆめのちゃんのMCでこの日のためにカラダづくりがんばったというアピールに対して不健康そうな観客席の面々からの反応が薄かったのは思わず笑いそうになった。
他で言うと、ゆめのちゃんの私が前に進んでも着いてきてくださいという言葉はなかなか深いなと思った。応援する対象がメジャーになっていくと離れていく人が一定数いる。正直私もココ最近はハロコンの規模感よりもMSMWやバーイベの方がいいなと思っていた。ただそれは独りよがりな考えだなと感じた。応援される側としてはそうだよなと。多分、そうしてくうちにどんどんアングラになっていく気がする。
歪なファン心理をズバッと狙い撃ちしたようなこの言葉によってヲタクとしてのあり方を考えるようになった。
あとは何より彼女自身の人柄のよさに非常に感心した。自分にはない良さだからなおさら。先輩へのリスペクト、グループのメンバーへの愛や思いなどなどジャンプ主人公のようなアイドルに対するまっすぐな彼女の姿勢にファンとしてではなく一人の人間としていい刺激をもらえた。
うん。ホレましたよ。まじでカッコよかった。
帰りはもちろん夜行バス。バスタ新宿での待ち時間ほど孤独を感じる時間はない。本当はこんなもんに乗りたくないんだけど。ただ、バス内で寝れたかどうかでだいぶ後味が変わってくる。今回は熟睡できた。個人的に夜行バスはネックピロー必須。そんなこんなで帰宅し、週末に行われるつばき単独に向け、日常へと戻る。