かなともの卒コンを見て

今日ハロプロのアイドルグループJuice=Juiceのオリメンであるかなともこと金澤朋子卒業コンサートをライブビューイングで見た。
とてもいいライブだったし、いいステージだと思った。

この日の帰りにネットを開かなければ良かった。

ハロプロのオフィシャルサイトにはかなともの新譜のセールス情報、他のハロメンのイベント情報などが次々と載せられていた。

これに対して私は、何かがおかしくないだろうかと思った。

もちろんアイドル運営は営利企業だ。ただあまりにも資本主義的な側面をメンバーの卒業コンサートの後に見てしまったせいで精神が崩壊しそうになった。

アイドルヲタクの悲しい性か。とはいえこんなのを繰り返していちゃあ正気じゃいられない。
アイドルとはそういうものだ?頭では分かってるし口ではなんとでも言える。

今年は各ツアーにつき2公演ずつくらいは行った。今んところ大学よりもハロプロ現場に行った回数のほうが多い。だから去年まではメンバーの卒業に対してはもっと関心が薄かったし、アイドルはそういうもんだと消化できてた。それと私がハマった2019年の初め辺りからモーニング娘。から卒業者が出ていないというのが大きい。だからモーニング娘。以外のハロメンの卒業に関してはどことなく他人事でいられた。

でも今年はまぁまぁコンサートに行った。しかもほぼハロコンだ。そうなるとメンバーの卒業に関しての受け止め方も違ってくる。

アップフロントは他所よりよっぽどいい事務所だと言われてる。だから何だ。

アイドルというのはある種イカれたビジネスだったんだと思わされた。じゃあどうしろと?そんな解決策はパッと出てこない。おそらく永遠に。
かといってこんなことを繰り返すのも最善とは思えない。ハロプロは20年以上の歴史がある。アイドルというビジネスにおいてここまで長く続けられてきたからにはこの会社なりのやり方があり哲学があるのだろう。しかし、今はそれを飲み込むことはできない。

何というか。死んだわけじゃないが、いわゆる喪に服すというか、もうちょい今の状況、空間を噛みしめさせてほしかった。

まぁネットを開いたのは自分。見なきゃよかっただけ。これに関しては自分が100%悪い。

ヲタクを辞めた人にはよく辞めれたなと思うし、続けている人にはよく続けてるなと思う。
でも今日の経験で少なくとも前者の気持ちは分かった。

数週間後にはモーニング娘。のまーちゃんの卒コンがある。一応ライブビューイング(チケットとれれば現地)するつもりだが、それまで私は正気のままでいられるだろうか。
もしかしたら明日には当たり前のようにハロプロの曲を聴いているかもしれない。

卒業したメンバーも卒業後も彼女たちの生活、そして人生があるように、ヲタクにもそれがある。

ハロプロが好きだ。何にも変えられないくらいの熱量だ。なにせ私にとってのスペシャルワンなのだから。
でも、しばらくはハロプロ、いや、アイドルというものはお腹いっぱいだ。というか今は受け入れられない。

夏ハロコン2021の思い出

本を読むには本を読めるだけの(安定した)精神状況が必要だ。そう感じたのは今月に入ってから、具体的には大学の後期授業が始まってからだ。今月になって本を読む気になれなかったし、手に取ったところでページをめくりたいとも思えなかった。そして、これは自分にとって異常なことだと感じるようになった。

 

大学内に友達のいない私にとってオンライン授業は決してネガティブなものではなかった。部屋で一人ラップトップに向かうことは全くもって苦でなかったし、いつもは一コマ90分の授業を資料を一瞥するだけで終わすことができたのはこの上なく効率的だった。そして、オンライン授業での成績評価はテストではなくレポート課題が多いため、普段であれば友達がいないので過去問なんて回ってくるはずもない私だが、この環境下ではそんなものは関係なくむしろそういった過去問の類に頼ろうとしてた人種ざまぁなんてことすら思ってた。

 

そんなこんなで効率的にオンライン授業を進めていった私は、2年の前期から3年の前期にかけて70単位を取得し、その期間のGPAは通算3.7超えだった。2年のうちはある程度モチベーションというか自分なりのオンライン授業攻略法を編み出したことでほぼほぼ時間もかけずにノンストレスかつ結果も出るというなかなか良い期間だったと思う。

 

でも3年になってからは結果こそ出たものの精神的にはあまり良い日々が送れなかった。その原因はゼミ、そして研究活動である。これは前期を終えた夏休みで「暇と退屈の倫理学」という書籍を読んで気付いた。以下はこの書籍を読んでの感想になる。

 

「退屈」とは平常時に思考の必要がないほど慣れ切った状態にある際脳の記憶をつかさどる部分が働くことにより起こる一種のトラウマのようなものらしい。ここで新たな刺激や興奮が得られると‟平常”時ではなくなり、脳の別の部分が働くことになる。すると、退屈は消えるんだとか。

なんてことない日常、だけど少し退屈だなと思うくらいが我々の本来の人間らしい生き方であり、そこで感じる退屈を紛らわす術として芸術や食といったものがある。

このような人間らしい生き方から逃れようとし(つまり、この生活で感じる退屈から逃れようとし)、仕事や勉強といった何かの奴隷になるときがある。就活を控えた学生が突然資格の勉強を「決断」したりするイメージだ。そして、こういった独りよがりな「決断」の多くは長続きしない(でなければこの世にダイエット本が次々に出版されることなどないはずだ)。

大事なのは退屈を紛らわす術を知り、それを探求し、自分の退屈を紛らわす術を自分の中に持っておくことだ。間違ってもこれを消費するようなことはあってはならない。浪費するのである。

 

この書籍では著者が消費と浪費について以下のように区別している。

浪費・・・必要を超えて物を受け取ること、吸収すること。必要のないもの、使いきれないものを前提としている。浪費はどこかで限界に達するので満足をもたらす。

消費・・・物に付与された(記号化された)観念や意味を消費する。物は記号化されなければ消費されない。消費の対象が物ではないので限界が無く満足をもたらさない。

 

そして消費について以下のようにも述べている。

消費社会では退屈と消費が相互依存している。消費は退屈を紛らわせるものだが同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。そしてこの消費と退屈のサイクルは最終的に拒絶反応を生む。

 

自分の退屈を紛らわすものを消費してしまえば、それすら退屈に感じてしまう。私は一時期、自分の趣味(ハロプロ)に対して、○○好きなら~~は見なきゃいけない・見るべきだという対して知りもしないネットの意見に支配され、自分が見たいかどうかという意志ではなく、そういった第三者の意見による意思でアイドルの映像を見た。

つまり、自分の退屈を紛らわすもの(趣味)を消費してしまったのである。これを見れば真の○○好き(ハロヲタ)だ、これを見なきゃ○○好き(ハロヲタ)じゃないといった文言や、このような第三者による他者性がちらつくとあらゆることが消費に変わってしまう。とあるグルメ漫画でラーメンの食べている客に対し、「彼らは情報を食べている。」といったセリフを放つしシーンが印象に残っている。でも今はそれが納得できる。グルメと呼ばれる人について、彼らは自分の意思で食べたいものを食べているのだろうか。それとも、これを食べたぞという気分になりたいから食べているのだろうか。

 

人間の行動に他者性がちらつくと消費に変わるということを頭に入れたうえで緊急事態宣言について考えてみると、行政のありとあらゆる要請が一人ひとりの行動を消費に変えるという恐ろしい政策だということが分かる。要請という比較的拘束力の弱い文言に何の意味があるのだろうと当初は感じていたが、一人ひとりの行動に他者性をちらつかせるという面では例え拘束力が弱かろうと関係ない。法的拘束力を持たずとしても予想以上に日本人が自粛に徹した結果からもこの効果はうかがえる。そして、この効果を自らの手腕と勘違いして悦に浸っている政治家たちもいただろう。あなた方は間違っている。我々の生活を何だと思っているのだろうか。

 

話を戻そう。先にあげた消費と浪費の構図を思い浮かべると、私は(いや、ほとんどの学生が)、大学を消費しているのではないかと感じた。私が欲しているのは「大卒資格」という観念であり、スキルや学問の探求といったものを欲していない。何度も言うが、消費は退屈を生む。消費のサイクルにいるうちはこの問題は見えてこない。私が3年前期に感じたやる気や思考力の低下を伴う精神的な不調は、単にモチベーションという言葉でかたずけることはできない。授業一つとってもそれは大卒資格を得るために単位をパスするための作業としか考えていなかった。でもそれは目的に合った手段ではある。

しかし、研究活動はそう簡単にいかない。私の大学では3年次からゼミに所属し、4年の終わりに卒論を提出するという流れだ。自主性もなく流れるまま生きてきた私にとってやりたいこと、研究したいことなど一ミリもない。でもゼミの先生はたいていレールを敷き最終的なゴールへのアシストをしてくれる。とはいえ自分のやりたいこと(そもそもそんなものはないのに)とは違うことの方向へ導かれ、最終的なゴールの方向(4年の終わりには卒論を書くんだろうなというゴール)は漠然と把握しているが、そのためには何をすればよいのかがわかっていない、わからない。ただ、そうしているうちにも時間は流れていく。そして、その時の流れに自分は乗れずに置いていかれ、不安が不安を呼び、だんだん自分が自分でなくなるような気がした。

 

そして、おそらくこれは鬱状態だと思う。あくまで自己判断だ。でも與那覇潤氏の「知性は死なない」という自身がうつ病にかかった際の状況を書いた(それ以外にもある。そして非常に面白い書籍だった。)書籍に書いてある状況の中にいくつか共感できる部分があったので恐らくそうなんだと思う。また、最近Twitter中央大学HPの研究活動についてのよくある質問という項目に研究活動になると何をやったらいいかわからない(つまり、順序立てて物事を考えるのが苦手な人は発達障害の疑いがあると書いてあった。別に発達障害と分かったところで私の日々は変わらない。むしろそういった自分の特徴について理解し、うまく付き合っていくのが重要なんだと思う。これについては2年のうちはよくできてた。2年のころには色々本を読んで自分についての取説的なものを作ったりといろいろ工夫していたし、授業にしても効率的にやりながら自分の頭を使って考えていた。だから成功できたのである。しかし、そんな成功体験の結果の部分だけが頭にインプットされたことで、過程の部分が飛ばされ、とりあえず何とかやればなんとかなる(成功するだろうという希望的観測で)、という考えに至っていた。そして、それのせいで失敗した。

 

そんな鬱に近い精神状況の中なんとか前期日程を乗り切り、その1週間後くらいのハロコンに行った。が、正直楽しめなかった。マサユメ、このまま等の心の底からアガる曲については覚えてるし楽しかったなーとは思うが全体を通してみれば100%楽しめたとは言い難い。夏休みという何にも追われず自分のリズムで過ごせる期間を経て、一時的には回復し、毎日読書だったり好きなことを楽しんだり、自分との対話をしたり、初めての遠征に行って一生の思い出となるような楽しい出来事も経験した。しかし、後期が始まるとまた再発した。そりゃそうだ。根本的なことを解決せず、ただ逃れることで一時的な回復をしたにすぎないからだ。

 

時間が解決してくれたのか、いや、違う。タイムリミットが近づいたことでようやく重い腰を上げ、自分の頭で考える作業をしたから何とかなったのだ。結局は自分の頭で考えて何かをやらないと意味がない。今までもそうだった。だけど結果のみにしか目を向けていない成功体験に浸っていたせいでそれを忘れていたのだ。よく、大学や高校は受かったところからスタートだ。という文言を耳にするがその通りだと思う。受かったところをゴールにすると今までの私のようになる。成功体験をどう生かすかが重要なのだろうという教訓。多分ひろゆきとかもそういう結果のみに注目した成功体験で物事を考えているのかなぁと思う。いや、彼は普通に自分の頭で考えることができるだろうし、どちらかというとそういう彼の志向を植え付けられた信者の方がそうなっていくのかな。

 

今は、自分の頭で考えるという作業を少しずつでいいからやっている。一歩一歩確実に進んでいくことが重要で、その一歩を今日は少しだけ前に踏み込んでみようという精神で毎日進んでいきたい。

 

勉学に王道なしとはいうがやはり我流を見つけ出していくしかないのだと思う。ハウツーに頼るばかりでは積み重ねがない。私は、自分の趣味について他者性を排除するためにSNSまとめサイト等をほぼほぼ見なくなった。そして、テレビも、特にワイドショーの類は一切見なくなった。趣味についてはこれでいいと思える。私は彼らの仲間になりたいのではない。つらい時期に励まされ、次第にはまっていった、いわば、私にとっての趣味は自分とその対象が一対一で向き合える時間なのである。自分の好きなものすら十分に楽しめなくなった時はさすがに自分自身を疑ったし、今こうして考えるきっかけの一つにもなっている。

 

何かうまくいかないことがあると敵を見つけそれを徹底的に避けるという方法は非常に簡単だ。よく、サッカーの監督でもチーム状況が悪くなると何人かの選手を徹底的に干すタイプがいる(モイーズ政権マンUでの香川真司はその被害者だ)。私はそれがいい方法だとは思えない。だからこそ、この、敵を見つけそれを排除するという安易な解決策に頼らないようにしたい。そのためにはあらゆることを清濁併せ吞んでインプットしていかなければならない。そして、それは非常に難しい。

 

何事も距離感が大事だ。中庸という言葉があるように、0か100かで考えないような人間になりたい。なんだかんだ中庸で人間は生きてきたし歴史を刻んできた。それを忘れちゃいけない。今こんな世の中だからなおさらね。

関東遠征~9/25続・花鳥風月 チーム鳥・花atハーモニーホール座間編~

この日は830分頃に起床。目覚ましはハロ曲以外との要望がありRock with you にした。9月は80‘sBlue eyed soulをよく聴いていたが彼らが影響を受けたモータウンなど本場のsoulを聴いてみたところ普通に好きになった。二郎インスパイア系にハマった人が本物の二郎を嫌いになるはずがないよねと。目覚ましに何かしらの曲をかけたところでどうせすぐ止めるんだけどね。そんな癖があるので目覚ましの曲がかかった瞬間東大王の伊沢並みの反応速度で目覚ましを止めた。前の日にしっかり寝付けたのもあって目覚めは悪くなかった。

 

この日午前中は空いていたので観光とお土産を買うという目的で赤レンガ倉庫に行くことにした。赤レンガ倉庫に行ったのは2nd STEPのビデオクリップで恋のUFOキャッチャーのロケ地だったからというのもある。赤レンガ倉庫に来たのは初めてだったが(天気があまり良くなかったのもあるが)自分がもう建物や景観を見ただけではテンションがあがらなくなっていることに気づいた。

 

そんな気持ちとは裏腹に会場にあるなんなのかよく分からない船の写真を撮るという旅行初心者のような行動をとってしまった。実際大学生になってから旅行らしい旅行は初めてだったので仕方ない。なにぶん自分は大学内に友達がいないからだ。自分の高校の約4分の1が同大学に進学するような代だったのでどの授業を受けても知り合いがいたのとそもそも自分自身が未熟だったというのもある。だから地元の大学に進学して実家でゆるーく暮らせるというのは良かったのかななんて思う。

 

赤レンガ倉庫ではあんまり覚えていないがアップルパイが売ってる店でアップルパイとアイスコーヒーをテイクアウトして外のベンチで食べた。なかなか美味しかったし安ビジネスホテルのインスタントコーヒーで妥協せずに良かったと感じた。ここ最近カフェイン過敏になってしまい午前中かつ500mlまでに制限をかけて飲まないと眠れないようになった。そのため私の中で一杯のコーヒーに対する価値が相対的に上がった。午後にどうしても飲みたい時はカフェインレスを飲むようにしているが味はコーヒーなのにカフェインのデメリットが全く出てこないからすごい。

 

途中そこそこの強さの雨が降ってきたのでワールドポーターズに避難。ここのゲームセンターも恋のUFOキャッチャーのロケ地だったのでちらっと見た。聖地巡礼ってこんなもんだよなと思いながら本日のコンサート会場がある座間市に向かう。

 

神奈川県といえど郊外はこんなもんかというのが座間市に降り立った際の第一印象である。田舎住みがこんなことを言ってどうするという話だけども。ライブあるあるだが人の流れになんとなく着いていけば会場に着くというのがある。今回もそのようにしたらいつの間にか会場に着いていた。今日は二公演とも2階席であった。夏ハロコンで3階席を経験したのでもうそこまで気にしなくなった。今日の目当ては私の推し(モウリーニョ風に言えばスペシャルワン)である小田さくらさんとつばきとjuiceの新メンバーである。あとはつばきの新曲。2nd STEPが個人的に好みだったのとショートカットになった岸本ゆめのちゃんにハートを撃ち抜かれた私にとってつばきの注目度は現在進行形で高まっている。そんな期待を膨らませながら席についた。メンバーが続々とステージに登場してポップミュージックのイントロが流れると一気に心は高まった。

 

つばきの新曲はカッコイイ系のダンスミュージックだった。その路線で来るか、という感想。確かに2nd STEPはバラードだったり軽快なポップスが多かったがライブで盛り上がるのはダンスミュージックだろう。後日公開された別のシングル曲もダンスミュージック路線であった。私がアイドルに求めているのはアッパーで元気になれる曲であり、あまりカッコイイ系は求めてなかったりする。それでもハロプロは私にとってスペシャルワンなのでその程度で離れるほどの熱量ではない。最近感じていたのがダンスミュージックだったりディスコやクラブミュージックに日本語歌詞はあまりハマってないんじゃないかということである。J-POPや日本の歌謡曲の良さと海外のダンスやクラブミュージックはお互いにその良さを打ち消し合うのではないかと。それについては最近読んだオリジナルラブ田島貴男氏の著書「ポップスのつくり方」にて言及されていた。いわくソウルミュージックのように歌でリズムを刻むというのは日本人にとって非常に難しいということだ。だからそこについてはたくさん研究して努力した旨が書いてあった。日本人で言えば田島貴男氏や岡村靖幸氏、そしてつんく氏は歌でリズムを刻むのが卓越してうまいと思うし、それがとても難しいことを知った。そうなるといわゆるつんくハロプロ)歌唱の意味がわかったような気がする。歌でリズムを刻むためのテクニックだったのである。改めてリスペクト。

 

チーム鳥で印象に残ったのは豫風ちゃんの初恋サイダーとシャッフルのI&YOU&I&YOU&Iだった。豫風ちゃんのソロパフォーマンスに関しては完全に会場を自分のものにしていた。歌唱力や声量は何よりアイドル性もすごかった。I&YOU&I&YOU&Iは単純に曲が好きだしメンバーが小田さんわかなちゃんあんみぃってのも良かった。かなり癒された。やはりハロプロっていいなと感じた。とにかく最高のコンサートだった。そしてその最高は半日経たずに更新された。

 

夜公演の前に会場付近で地下アイドルがハロヲタに自分たちのライブのビラを配っていた。私は受け取らなかったが友人は受け取っていた。これは二郎が好きな人に二郎インスパイア系どうですか?といっているようなものではなくクリスチャンにイスラム教どう?と言ってるような行為だぞと思ってしまった(他宗教に寛容なのはイスラム教の方なので逆かも)。それは言い過ぎか。とはいえなかなかの行動力だと感心した。もうすでに顔も名前も覚えていないので私にとってはその程度だったのだが。ハロプロ以外でいうと最近はkotoとEspeciaをよく聴いている。特にkotoプラトニックプラネットというアルバムは可愛さが詰まったテクノポップでハズレ曲が無く、今年聴いたアルバムベスト5に入るだろう作品だ。EspeciaもNO 1 sweeperやアビスなど80'sのディスコサウンドに影響を受けた楽曲が個人的にめちゃくちゃ刺さってリピートしてる。これらもめちゃくちゃいいんだけど、でも色々聞けば聞くほどつんく♂のすごさが分かるというか。やはりハロプロは私の中ではスペシャルワンなんだと感じる。

 

チーム花で印象に残ったのは有澤ちゃんがいいなってのと福田真琳ちゃんの好きっていってよのソロパフォーマンスが非常に良かったこと、譜久村さんのI&YOU&I&YOU&I I WISHが心に沁みたこと、令和の時代にペッパー刑部を生で聞くとは思わなかったこと辺りだろうか。有澤ちゃんは顔と歌声がいまだに一致しないのだがとにかく目が離せない、つまりアイドル性の高い人物だった。福田真琳ちゃんは女優のような唯一無二の雰囲気があり、パフォーマンスに引き込まれた。最高を容易に超えてくるのがハロープロジェクトだ。また行きたい。一応チーム月・風のチケットももうとってるので楽しみだ。

 

帰り道にネットでよく見るアンオフィシャルでイリーガルな路上販売の写真屋があった。実際に見るとその光景に思わず笑ってしまった。よく、ニュースの容疑者が警察に家に押しかけられ逮捕される映像で、容疑者がカメラに囲まれながら笑っているのを見る。これは、容疑者がサイコだから笑ってるのではなく、逮捕されると本当にカメラに囲まれるんだ、という目の前にある現実に思わず笑ってしまうんだそうだ。これは美人局かなんかで捕まった女性がFC2に出演していた素人(という名目)だった、というスレで得た知識だ。私が路上販売店を見てニヤついたのもそれと同じ現象だ。そして何点かの写真を購入した。オフィシャルよりいい。またもや緊急事態宣言とやらのせいでファミレスのような飲食店が空いてなかった。仕方なく海老名駅付近の商業施設にあるベンチでコンビニ飯を食べながら本日の感想を語り合った。こういう場所があるのはいいなと思った。

 

そんなこんなで友達と別れ新宿に向かい夜行バスで帰る。帰りのバスで夢精したのは内緒(テヘペロッ)。調べたところ水を飲んだ後にトイレに行かないで寝ることという夢精の基本条件に加えてバスの走行時の揺れがそれを誘発するらしい。次乗るときにいらない心配をしなくちゃならなくなった。とりあえずパンツは多めに持ってこう。

 

これにて関東遠征・完

 

 

関東遠征~9/24日里吉うたのBDイベント編~

2019年に地元の会場にモーニング娘。'19がツアーで来てくれた際に現場デビューを果たした私にとって今回が初めての遠征となった。2020年にコンサートを一度も行かなかったのもあり、今年になってから近場に来てくれる際は基本日帰りだが毎ツアーに一回は現場に赴いていた。しかし今秋のツアーではその程度のフットワークでは全グループの(特に推しのいるグループ)公演を見ることができないことが分かり遠征するという考えに至った。日程を考える中でなるべく夏休み中がいいということで座間の4公演を申し込もうとしたが、座間は人気で倍率が高かったので2日目の鳥と花しか取れなかった。後々考えるとそれでも十分すぎるなと感じる。そして、前乗りする予定だったのでたまたま前日に開催される里吉うたのちゃんのバーイベを申し込んでみたところ2公演とも当選し、そちらにも参加することになった。

 

まぁそんな感じで前置きは置いといて、1日目の話を始めていこう。初遠征だが夜行バスでいいかって感じで安易に決めた。が、行きに関してはスカスカで隣も空いてたので割と快適だった。途中の休憩などでいちいち車内の電気がつくのでアイマスクは必須だなと思った。モーニング娘。のツアーグッズで家にあるアイマスクの出番かと思ったがそんなの付け始めたら正気の沙汰でない(サタデナイッ!)。そんなこんなで4、5時間寝れたかなってコンディションで早朝の新宿に着く。待ち合わせしている友人は8時ごろにつくとのことでそれまでしばしの暇つぶしを。

youtube premiumに加入しているのでダウンロードしていた動画をいくつか見る。ハロステであったりビヨのびであったり私が9月の頭にみたアメリカンユートピアの感想を述べているスチャダラパーの動画だったりを見る。デイビットバーンの音楽について皮肉でありながら元気になれるという評がすごく納得した。彼は皮肉的な歌詞や幕間のトークでも得票率などアメリカの政治の現状についてくすっと笑えるような皮肉を交えて軽快に話していたがそれについてシニシズム的な態度をとるわけでなく、公演の終わりに会場近くに投票をするという意思表明を署名するためのブースを設置するなど実際の行動に移している。そういった活動的な面が彼を創造的で元気にさせていて、それを見る我々も元気にさせてくれるのだろうと思う。彼はそれだけでなく自らが厳選したニュースを集めたニュースサイトまで運営している(https://reasonstobecheerful.world/)。そのサイト名がReasons to be cheerfulというのもこの話につながるなと。そして、何より彼の衰えない歌声やフォーメーションダンス(ハロヲタだからこの表現だが実際は日体大の集団行動のようだという表現の方がイメージしやすい)を思い起こさせるような作りこまれたショーは感動した。そんなことを考えているからか案外退屈ではなかった。不思議と何かを待つという感覚はなく穏やかな心でいられた。おそらくだがせっかくこっちまで来たんだから○○しようとかしなきゃといったミーハー心が無かったからだと思う。前の週くらいに読み終えた「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎著)という書籍の影響も多少はある。この話については別の機会に書きたい。

 

そんなこんなで気づけば8時になり友人も到着。まずはお互いの長旅をねぎらうようにタリーズコーヒーへ向かう。どこにいっても同じ空間を提供するチェーン店ってのは改めてすごいんだと思う。昔は旅行行ったのにチェーン店て笑笑といった具合に揶揄していたがチェーン店にはチェーン店の良さがあるんだと実感。本日の予定は秋葉原にあるハロショに行くことと横浜のランドマークホールで開催される里吉うたのちゃんのバーイベに行くことだ。この時は緊急事態宣言とかいうよく分からんもののせいでハロショは13時から開店するためまたしても暇つぶしをする。

 

昼時に秋葉原についたが私の気分を満たすようなよさげな飲食店はなく、さっと食べれるラーメン屋などが多かった。ラーメンに関しては私の居住区にも高クオリティの店が多いのでわざわざ食べたいとも思わなかった。ここに来る人たちは基本は食にお金を使わない人が多いんだろうなという予想。もちろん自分もそうなので。需要と供給通りといったところか。13時までふらっと散策し、開店直後くらいに入店。新商品が入荷していないのもあったのだろうが正直拍子抜けしてしまった。とはいえ生写真を何点か買い退店。友人も同じような感想を述べていた。気を取り直して次は横浜へと向かう。田舎者が乗り換えとか分かんのかと非常に不安だったがGoogle MapというAppを使えばそんな不安は必要なかった。自分でも驚くほどにスムーズに移動できた。友人と一緒にいたからというのもあるがテクノロジーのすごさとこれが無い時代の人たちヤバいなという感想に至った。

 

ランドマークに向かう道中はオフィスビルばかりでウキウキするような街並みではなかった。途中でいきなり大学のキャンパスがあったが正直ここの立地が魅力的かといわれると微妙だなと思った。私自身地元の大学に通っているのもあって都会のキャンパスや一人暮らしに若干のあこがれというかコンプレックスみたいなものがあった。だがそういった気持ちは今回の遠征で消えた。むしろ実家暮らしと地元のゆったりとした雰囲気だとかのメリットの方が相対的に評価されるようになった。もちろん都会のメリットは田舎とは比べられないほどある。でもそっちに住みたいとは積極的には思わなくなった。多分その中間の地方都市とかが一番いいのかなーなんて思ったり。そんなことを考えながら本日の現場に到着した(圧倒的に電車を使うべきだったのになぜか歩いて向かったが色々考えることができたのでよしとする)。

 

またしても時間調整が必要なのでランドマーク内のコメダに入る。そこで佐藤優樹の卒業という今年の、いや、今後数年間でもハロプロ史上で一番になるであろうニュースを見てしまった。とにかく複雑な気持ちになったし、とにかく頭に入ってこなかった。そりゃそうだ。これからイベントに参加するんだぞ。

 

時間になったのでそんなよくわからないテンションで会場入りした。上演前にビヨメンの過去のバーイベの映像が流れていてその時点でだいぶあがったし現場に臨むための気持ちは仕上がった。今回参加するバーイベの主役は里吉うたのちゃんなんだが個人的には推し(モウリーニョ風に言えばスペシャルワン)というわけでなくスケジュール空いてたのとバーイベどんなもんか知りたかったから入ったというのが本音である。だが、そんな気持ちも終演後は180度変わっていた。

 

今回里吉うたのちゃんのバーイベに参加するにあたり、彼女のニックネームである「うーたん」にちなんでウータン・クランのTシャツを着て臨んだ。だからなんなんだ。イベントはアンジュルムの愛されルートAorBのダンスパフォーマンスから始まった。彼女が加入する際にやや話題になった若かりし彼女がワックダンスを躍るYouTubeの映像を見たことがあったので実際にそれをみれたのが良かった。

正直ダンスについては全くもってわからない。正しくはなんとなくすごいだとかこの人はうまいみたいなのはわかるけど何がどうすごいのかに関しては全くわからない。それが分かればオタクとしての楽しみが増えるのだろうけど。

コーナーは占いをしてもらった結果を聞いたり予想したりするものと司会役の小林萌花ちゃんとお題に対して答えをせーので合わせるという2つだった。彼女のパーソナルな部分に関してはほとんど知らなかったのもあり非常に楽しめた。占いの部分はちょっと間延びしたかなーと思ったが。そしてそれを体現するかのように目の前にいる観客の方がウトウトしていた。よくよく考えればこの日は金曜で平日だし平日にイベントがあるというのは社会人の大多数にとってこういうことでもあるんだなと思った。水を飲み、体を伸ばして目を覚ましていた光景は受験生時代の高校の教室の風景を思い起こさせた。何ならこの部分を切り取ってカロリーメイトのCMにしたいくらいだった。ちなみに本日の主役である里吉うたのちゃんと私は同学年(小林萌花ちゃんも)である。だからなんなんだ。

 

ラストはライブパフォーマンスコーナー。セトリを振り返るとまず一曲目は付き合ってるのに片思いからスタート。さすがわかってるなといった感じの選曲で会場は一気に盛り上がった。次に愛・愛・傘、傘をさす先輩と聴かせる感じの曲が続く。一曲目からなんだが歌うまくね…?と感じた。失礼ながら彼女に歌のイメージがなかったのでそれが顕著に感じられた。後のブログでボイトレいった話とか出てきてたので努力してうまくなってたんだなと感動。次はMy Darling。こちらも彼女のかわいらしさ全開なのと個人的に好きな曲だったのでアガった。ラストはショートカット。言わずもがなの名曲で最高に盛り上がって終了。最後はみんなでがんばろうーたんをして終演となった。選曲に関してはかわいらしい衣装だったので可愛さに振った選曲にしたとか。なかなかいいセトリだったしとにかく満足度の高いイベントだった。そのままのテンションで2部へ。基本的な流れは変わらないがセトリで傘をさす先輩→あったかい腕で包んでという変更点があった。この曲をパフォーマンスしたことについては、彼女は毎年ファンの予想を裏切るような選曲をしたかったのと彼女のお姉さんにこれどう?と勧められたのがきっかけだったらしい。そんなこんなで満足度の高いイベントは終演し帰路につく。

 

アメリカンユートピアでも思ったことだが理屈抜きで元気になれる、気分が上がるようなものは人生にとって必要不可欠だし、大事にしていきたいと思った。私にとってのReasons to be cheerfulがハロプロであることを再認識できた日であった。

 

ホテルまでの道中でjuiceの横アリ決定というニュースを見てますます混乱。とにかく情報量が多すぎた。のでこの日はバーイベの余韻に浸るのみに徹した。夜ご飯はテイクアウトの中華。厨房から中国語の聞こえる中華料理屋は安心できる。その法則通りおいしかった。満腹のまま就寝する。夜行バスで来たので眠りこけることができた。

 

2日目~続・花鳥風月 チーム鳥・花atハーモニーホール座間~に続く。