22/05/01(日)~07(土)

この期間は世間一般ではGWなのだろうが大学四年生ともなれば平日も休日もほぼ変わりやしない。ただ人通りがやけに多くてそれだけは気分がいいものではなかった。この期間に月末に行くアットジャムのチケットを発券したが整理番号は300番台でどうなんだろうって感じだ。あと、初めてアイドルフェスに行くもんでそれもやや不安要素というか勝手が分からないので想像がつかない。入れ替えがあるとか最前管理がどうのこうのとかよく分からん。調べてみたけど検索して出てくるようなもんではないらしい。まぁどうなろうと楽しむ気持ちだけ持っていれば大丈夫だ。アンジュとつばき武道館は目を引ん剝くレベルのハズレ席だった。ただシステム上どっかで採算が取れるというか、平均値に収束するんだろうからあんま気にせず行こう。そういや宝くじは買えば買うほど30%の利益に近づくんだとか。どんだけ買っても30%は戻ってくると考えるか、なんでそんなに30%に近づくシステムなんだろう?ってことは宝くじに夢なんてない……と考えるかは人それぞれ。まぁ私は買わない。

もう一か月になろうとしている筋トレ生活だが着実に成果が出ているのを実感している。それを実感できるのは間違いなく懸垂のおかげだ。周りの人にも筋肉ついたねと言われる。何より自分が一番それを感じている。筋トレをしていて良かったのは、私が元々出不精でその理由に色々やらない言い訳を考えることがあったのだが、筋トレによってとにかく行動するという習慣がついたので筋トレの習慣だけでなく出不精も改善した。よく筋トレが鬱に効くとか筋トレがすべてを解決してくれるといった文言を目にするが、その背景について、自身も筋トレしている千葉雅也氏のコラムを読んであぁなるほどなと理解できた。

www.asahi.com

僕は今の筋トレブームに対しては、すごくアイロニカル(皮肉的)で懐疑的な見方をとっています。グローバル資本主義が激化して、自己責任プレッシャーが強まっているネオリベ(国家による個人や市場への介入を縮小し、個人の自由や市場経済を重視する思想)的な世の中で、自分に自信を持つため、あるいは不安を否認して目をそらすための技法として筋トレやマインドフルネスといった、自己に集中するタイプの技術が人気になっているんだと思うんですね。

急に予測不可能にビットコインが下がるとか、変化が非常に流動的で明日どう変わるかわからない世界にいると、人は自分に近い場所で何か確実性を担保しておきたくなる。それを非常にプリミティブ(原始的、根源的)に実現してくれるのが、筋トレなのではないでしょうか。

自己啓発系の筋トレ本などで見かける「筋肉は奪われない」「筋肉は裏切らない」といった言葉は、そうした欲求を言語化して煽るものである、と。

千葉 そうそう。グローバル資本主義の厳しい自己責任的な世の中で、原始的に頼れるのが筋肉の成長可能性だから、「筋肉は裏切らない」なんですよね。ただそこでも残酷なことに、筋肥大には遺伝的な素質があるので、どこまでできるかは人によって違いがある。そこをちゃんとごまかさないトレーナーもいるけれど、「誰でも頑張ればすごい体になるんだ」と幻想を説く人もいる。それはまさに「みんなも頑張ればすごい金持ちになれるかもしれないぞ」という考えと、まったくイコールじゃないですか。本当はそんなことはなくて、その人が属している社会的なさまざまな条件や状況によって変わってくる。努力が確実に実を結ぶかどうかなんて、保証されていない。それは筋トレも同じで、努力してどこまでいけるかはわからない。

だから、「筋肉は裏切らない」というのは、今の社会状況を否認するための悲痛な叫びだと僕は思いますね。それでは結局、資本主義の巨大な動きに従属して踊らされている、被従属的な身体なんです。筋肉をつけて確固たる自分を確保しているように見えるかもしれないけど、実際は他律的に身体をつくっている。

 

自分自身が今筋トレをしている一番の理由は何だろうと考えるけど特に深い理由なんてなくて、多分自分が何となくできることだからやれてるんだろうし続けられてるんだろうなと感じる。誰かと競うわけでもなく徹底的に自己目的的かつ自己満足。だから、セット数だとか私はこうしているみたいな他人のやり方を見ると一気に続かなるだろうとも思う。例えば自分の中の師がいればそれを真似る、もしくは習うようにすればいいのだろうがそうでない人たちについて積極的に自分からアクセスする必要はない。先にも上げたように誰かと競うわけでもなく徹底的に自己目的的かつ自己満足。これはなんだかんだ自分が行うことのほとんどに通じるだろう。この精神を忘れないで行きたい。

 

この一週間のざっとした記録。

日 つばきのスカパー、配信を見る
月 ブックオフで諸々購入(考える方法、思想地図1,2、現代思想入門) L字懸垂逆手10×3 プランクトーク2回
火 古着を2万円分購入。ホワイトデニム、バンドT、ヲタT風なTシャツ、半袖シャツ等ほしかったものが買えて満足
水 夏月姫ちゃんオンラインお話し会 ドトールアイスMとソフトクリームバニラ インターバルランニング200m×5本 2セット目は4本 懸垂 順手8×3 ディップス8×3
木 ドクターストレンジを見る。スタバ アーモンドミルクラテショート ミシェル・フーコーを一時間ほど
金 L字懸垂 逆手10×3と5×3 ディップス10×3 壁倒立40秒2セット チューブトレーニング 二頭筋 肩 それぞれ1分で2セット 体操選手を目指す まずは肩(三頭筋)が足りてないかな
土 L字懸垂 順手10 8 5 ディップス10×3 足上げ腹筋10×3 壁倒立1分2セット
 
月姫ちゃんとのオンラインお話し会はマジで楽しかった。心の底から笑顔になれたし幸せな気分になった。ヲタク、これからも頑張って生きていきます、って気持ちになれた。
では、日記を。この一週間は書いてない日もちょこちょこあった。
 
22/05/02
ちくまプリマー新書 考える方法
p60
「明確に証明できないのを理由にして、何もしない口実に使うことは、まさしくニセ科学ではないか。」
 
 
何が足りていないのか→まず最初の方から考えよう。向き合おう。適当にやっても適当な結果しか出ないぞ。自分がなぜ向き合っていないか、向き合えないかは既に出した。
 
書類は通るけど1次面接で落ちる→ES以上の自分を出し切れていない。ESはあくまで表面的なので、面接では始めから深いところを切り込む。どんな考え?感情?自分の中でゴール見えてないとできないよ。
 
意地を張らないこと。プライドを捨てること。
ドクターペッパー飲んでるやつはドクターペッパー飲んでる俺かっこいいと思ってるという偏見(意地)は偏見される側が変なものを飲むという意地を張ってるのか偏見する側が斜めから見るという意地を張ってるのか。
まず、ドクターペッパーは多くの人が好きではない味だという共通認識があり、そこから、それをわざわざ飲むような人は変わり者だという話に繋がってくる。ここまでは偏見には当たらないレベルだ。この変な飲み物という位置づけは、普通の飲み物(ここでいえばコカ・コーラ)があるからこそ生まれるものである。間違いなくマジョリティ側の方がマイノリティを揶揄することのほうが共感を得やすい。だからこういった揶揄するレベルの発言が生まれ、偏見となる。一方、偏見が十分広まった中でも飲み続けるマイノリティ(彼らはあくまで被害者)には何か意地のようなものがうかがえる。マイノリティかつ人々に斜めから見られる立場でなおかつ飲み続けるからだ。しかし、彼らが意地を張ってるように感じるのは、自分がマジョリティのそれも積極的に揶揄する立場にいるからではないか、ひいては、普通が正しいという安全圏にいるからではないかと感じる。ここにも普通と普通ではないことを二項対立的に見るという強烈な偏見があり、そこから離れることをしない意地が観測される。さて、ここでどちらが意地だと言えるだろうか。
 
理性とは環境のノリに合わせる思考
衝動に代表される無意識の行動(哲学的に言えば狂気?)とはその人の本性(仮固定による)
 
追い詰められたら逃げてもいいと言うが逃げる思考になってる時点でメタ的な視点を持つべき。〇〇やんなきゃの板挟みが同時多発的に発生し身動きが取れなくなる。そしてそれは言い換えれば意地とも言える。環境のノリとも同じ意味だ。つまり、そのばのノリに合わせるという意地を張ることが最終的に自分自身を追い詰めるのである。とにかく意地を張らないこと。こうしなきゃいけないという思考を取り払う。突発的な、自然的な現象を楽しむ。そういうメンタルで。
 
 
生きていく中であと何度その場でしか通用しない技術を学ばないといけないのだろうか。そして社会人はその連続かもしれない。プラスティックな技術ではなくもっと本質的な芯を持って、自分を持って納得させていくしかないのかもしれない。
 
22/05/03
適当に書いた(本心ではない)ESが通った→チョロいな。こんなんで本当に俺のことが分かるのか?こんなんで俺のことを評価されたくない。もっと本当の俺を正当に評価してほしい→それを面接で出せばいいだけの話では?それが面接の意義というかプレイヤー側のアピールチャンスなんじゃん。もっとプレイヤーとしての立場を考えよう。ES以上の自分を出すとはそういうことか。
 
自分を初心者だと位置づける癖がある。そしてその癖が自分の成長を阻害してる。初心者だと位置づけることは失敗の言い訳になるし、成功に対する評価も上がる。まさに自分を守る術だった。自分を初心者だと位置づけないためには、初心者から達人までの道のりと考えないこと。意外と自分の能力はその道のりとは関係なく持っているときもある。下手に初心者から染まるとうまくいかなくなるときもある。まずその道の究極を目指す。達人のメニューを見る。そこと自分の現状との対比からどうやって差を縮めていくか、もしくは妥協するかを考える。
こうすればこうなるといったハウツー的な考え方ではなく、まずゴールから。
誰だって人生の初心者なんだから→人生には初心者も達人もいない→
 
22/05/04
達人の域→いやいやこんなんできねぇよ→初心者用のメニューをやる→長続きしない
達人メニューで全然良いのかもしれない。あと、三日坊主にならない、もしくはなってもいいように記録を付けることは大事。
今やってみたいこと
・筋トレ(目的としては心肺機能と筋力、つまり体力の維持もしくは強化)目標レベルとしてはサッカー選手、アダマ・トラオレのような肉体
そのためには……公園筋トレをもっと増やす(懸垂以外)、インターバルランニングの目標設定(タイムなのか本数なのか)
・勉強(研究活動に限らず)プロと呼ばれる人はどれくらいの質と量の勉強をしているのか。こうすればこうなるという参考の仕方はだめ。自分が集中できる場所、カフェや図書館で勉強する習慣を。
・読書とブログ(インプットとアウトプット)読書による作者もしくは作品との対話を意識したい(暇と退屈の倫理学より)、ブログに関してはライティング技術の本なども読んでみたい
・就活(というか人生設計)自分と向き合うには何が好きで何がしたいのか、つまり自分の仮固定を理解する必要がある(勉強の哲学より)きがする。そのうえで就活の最低限の、いや、全ての流れを抑え、考えていきたい。
 
これらは全て同時並行して行うことが可能である。自分に義務付けるのではなく自分がやりたいからやる。そこには他者性など必要ない。そして、自分を初心者と位置づけないこと。安易に初心者として甘んじることはしない。
インプットとアウトプットにはそれぞれそれを行う場所(というかスタイル)があり、そこを理解する必要がある。ダルくてもとにかく行動するしかない。どんなことだろうとアクションを起さなければ何も始まらない。
 
22/05/05
志望動機
企業のコアビジネスはなにか?
btob, btocかを履き違えない。
自己PRで伝えたいのは結局何なのか。蛇足的な要素はいらない。読みたい本、読んでて面白い本ってどんなのだろうか。自慢ばっかじゃ自己啓発本と同じになる。
 
マルチバースパラレルワールド)だろうと個人には個人の運命のような呪いのような結末を迎える行動を取ってしまう。これはその人の本質、つまり「仮固定」と捉えられる。マルチバースを行き来することと他者に触れることで自分の思考を俯瞰することができ、結果的に呪いを解くことができた。これは脱構築と捉えられる。アベンジャーズのヒーローだった人が一気に偽善者になるというある種衝撃的な映画だった分モヤモヤも残る人がいるかもしれない。自分には自分の見えている世界しか分からないというのがよく表れている映画でなおかつそれは最後までそうだったかもしれない。nwhのようなマルチバースでの共闘もなかったし。
 
自分の現在は偶然が連続的に重なっていくことで生まれたものに過ぎない。歴史も同じように偶然性の産物の集積に他ならず、そこにストーリーを見出すのは人間のエゴのようなもの。自分は歴史の1ページなのではなく、ただ、今この瞬間を生きているだけであり、歴史のストーリーとは違う時間軸で、歴史の中の差異として生きていくことの必要性。ストーリーとして捉える際に生まれがちな、ポジティブなものの背後にあるネガティブな要素と、それこそが重要なのだと決めつける傾向を放棄することで、今この瞬間をポジティブなものとして受け入れられる。
 
 
自分が今運動をするモチベは何か?今は懸垂から入ったこともあり、器械体操のように自分の体を自分の思い通りに動かすことが最終的なゴールかなと思ってる。これこそが教育における体育の本質だしな。運動の哲学にも触れてみたい。まぁストーリー性は必要ない。なぜなら偶然の積み重なりでしかないのだから。今はとにかく体操選手のように懸垂と器械運動、マット運動の(ための)トレーニングをやっていきたい。
 
22/05/07
自分は現在なんとなくできることの積み重ねで生きている。フーコーの考古学的な視点で自分史を考えたとき。
なんとなくできるようになったのは偶然の重なりであり、現在のわたしからしてみればなんとなくできることでしかない。そして、できないことはおそらくできない。0%が10%になるくらいは出来てもその先に行く力は多分持ち合わせてない。あくまでポジティブな視点でね。
なんとなくできることは自分の能力だし、そこを伸ばすというのは良い策だと思う。
〇〇やんなきゃみたいな思考で生きてるうちは一生この社会構造の中で転がされてるだけだし、そこでうまくやってける自身はない。その生きづらさから脱していくには俯瞰でみることと勉強することが必要。
今の自分にとってより良くいきるためにどうすべきかはやはり真剣に向き合っていかなければならないことで、そこは世の中にはどういう職業があるのかを知るところから始めるくらい初歩のレベルだと感じる。自分としては、職人的な専門的な仕事をしてみたいと思ってる。最終的には自分で店を持って自分の好きな音楽をかけて自分の能力が他人に評価されるような環境。そう考えたのは2年か3年のときだったと思う。やはり4年に近づくにつれ、環境のノリに合わせなければと思うようになり、自分がしたいとも思ってないことをやるようになっていた。しかし、このモヤモヤを通して、自分がなぜこういう場面で上手く行ったのかってのをなんとなくながら分析できたのは良かったかなと思う。
環境のノリに合わせなければと思うことで社会に生きづらさを感じる。その生きづらさを自己実現に昇華できれば、いや、できそうかもしれない。今はそこを探るようにしよう。自分を初心者と安易に位置づけないこと。そして、環境のノリに合わせていないかを逐一確認すること。そうやって考えていくことで自分が分かるかもしれない。とにかくやってみよう。アクションを起こそう。
 
 
オマケ
中山夏月姫ちゃんオンラインお話会レポ
自分「おー!夏月姫ちゃん!メジャーデビューおめでとう!!」
月姫ちゃん「いやー本当にありがとう。」
自分「夏月姫ちゃんプロレス好きということで、自分も元レスラーです。(学生時代のレスリングのユニフォームを見せる。)」
月姫ちゃん「えー!テンション上がった。」
自分「あ、アットジャムとオチャノーマの間行きます!」
月姫ちゃん「んじゃそれ着てきて笑」
自分「(笑いながら)いやー……あはは(なんちゅう無茶振り)」って言ってる途中で終了。