楳図かずお大美術展

2月20日。この日はつばきファクトリー五周年ライブを見るために遠征したわけだが、私の目的はもう一つあった。

それは、楳図かずお大美術展に行くことである。

この方の名前や作品はなんとなく知っていたが、あまり読んだことはなかった。だが、今年の夏頃、たまたま聴いたSOLEILというバンドの「MARINE I LOVE YOU」という曲が気になり、ネットで調べた際、この曲が楳図かずお氏の「わたしは真悟」という作品をモチーフにしているというのを知った。(この曲の作詞作曲タッグと同じ脇田もなりさんの「Boy friend」という曲もめちゃくちゃいい。)サブカル心が爆発した私は、間髪入れずに全巻購入したのであった。どんな話かざっくりいうと、ある工場の工業用ロボットが心を持つという話なのだが、途中からガラッと物語が発展していき、一気に引き込まれる。SF作品としてみても面白いし、ロボットが心を持つという点ではどこか現実的でもあるし、そこから哲学的に見ても面白い。間違いなく名作だ。この作品が描かれたのはずいぶんと昔なのだが、今回の美術展でその続編が出るというのを知り、どっかのタイミングで行けたらなーと感じていた。そして、念願かなって、行くことができた。

壁一面に描かれた楳図作品の世界観と、要所要所に置かれた現代アート、そして、六本木ヒルズから見える夜景に一気に引き込まれた。だが、この美術展の一番の目玉は先にあげたわたしは真悟の続編、「ZOKU-SHINGO」であろう。漫画ではなく101枚の連画になっており、美術作品に近い。物語も非常に面白くファン必見の内容になっているのだが、なにより驚くのが、この創造性・独創性に溢れ、迫力のこもった101枚の連画を描いた楳図かずお氏が80歳を超えているという点である。

これらの作品を見て真っ先に思い出したのが、手塚治虫氏の名作ブラックジャックの「絵が死んでいる!」という回である。

ビキニ環礁の核実験により被爆した画家が被爆者の治療実績のあるブラックジャックに、死ぬ前にこの恐ろしさを伝える絵を描くために、治療後に書き上げた絵を売ることで費用を支払うという約束のもと、治療を依頼する。しかし、画家の体はあまりにも重傷で、脳と心臓を他人に移植するという手術を行うこととなる。不可能を可能にする男ブラックジャックは神業ともいえる手さばきで手術を行い、新しい肉体のもとで画家は復活する。しかし、核実験の恐怖を描こうとする画家であったが、思うような絵が描けず、その状態が一年も続いたのち、たった一つ残された脳までも放射能に侵され、病床に臥すこととなる。生死の境をさまよいながらも最後の力を振り絞り、未完成であった絵を描き上げ、まもなく画家は息を引き取った。倒れた画家を見るなり、彼が入院していた病院の医師は「手おくれでしょうな」と言った。だが、最後の仕事を終えた彼を見たブラックジャックは「いや……手おくれではなかった…………」と言うのであった。

彼が完成させた絵には、彼が見た地獄や恐怖、残酷さのイメージが描かれており、その鬼気迫る表現は、例えモノクロの漫画だろうと、その光景を我々に喚起させる。

 

今回の楳図氏の「ZOKU-SHINGO」からもそういった迫力が感じられた。一連の作品からは楳図氏の生き様、美学、哲学までも見えてくる。

楳図氏は今回の美術展に関するインタビューにおいて、人間の退化に関する危機感を述べていた。進化を退けることが退化なわけだが、齢80を超えてこのような考え方ができるというのは、非常に感心した。そして、かなりいい刺激をもらった。

 

人間の成長についてはここ最近いろいろ考える。成長のプロセスというのは、ウェイトトレーニングのようなものだと考える。自分が持てる限界に近い負荷を乗り越えることで、筋肥大し、より重い負荷も持てるようになる。これと同じで、自分に降りかかるストレスを乗り越えることで、強くなることができると考える。この考えは約二年前に読んだ「メンタル・タフネス」という本に基づいている。この本は、プロのアスリートのメンタルケアを行っているスポーツ心理学者が、スポーツ心理学を基にしたメンタルケア、コントロールの方法をビジネスパーソン向けに書いたものである。ビジネスパーソンのみならず、アスリート、学生をはじめとしたあらゆる人にお勧めしたい一冊である。

この本が画期的なのはストレスを乗り越えて強くなるというテーマにある。ストレスに対しては「逃げる」だとか「逃げてもいい」というのが近年の潮流である。まぁメンタルケアとしてはいいのかもしれない。しかし、それが人間を成長させるか、という点においてはあまり良くないのではと感じる。

このストレスを乗り越えて強くなるってのは人が成長するプロセスとしての正攻法だと思う。それ以外は突然変異みたいな感じでしか成長しないんじゃないかと感じるくらいに。んで、それを組み込んだ教育をする組織体制がいわゆる体育会系なんじゃあないかと考える。戦後のバブル経済における日本は体育会系でうまく行っていたと思うし、なんだかんだ日本人が構成する組織が結果を出すにはこれが最適解なのではとも思う。でも体育会系にも権力の集中だとか組織ぐるみの不正や汚職といった負の面もある。体育会系の賞味期限みたいなものだ。ただし、個人の成長や全体のアウトプットを考えるとやはりポジティブな面も多い。

そんな体育会系だが、近年は毛嫌いされていることの方が多い。まぁ体育会系には(第二次世界大戦中の日本軍のような)根性論や精神論がつきもので、傍から見れば宗教染みた組織になることも多い。エビデンス重視やエセ科学を鬼の首をとったように叩き上げる現代においてそういった組織は寒くてイタイ奴らの集まりだというレッテルが張られるのも無理はない。そういった世の中の雰囲気や、先にあげたようなストレスに対する意識などの社会変化もあることを考えると体育会系への風向きはあまり良くないだろう。

そんな話はさておき、この本に感化された私は大学二年次にオンライン授業を無双し、GPAを爆上げした。しかし、今年度はそうもいかなかった。その理由に先にあげたようなストレスに対する意識の違いがあったのではないかと振り返る。つまり、今年度はストレスに対しては「逃げる」という対応ばかり取っていたのである。その結果として、この一年で成長を実感したこともなければ、できなかったことができるようになるという経験もほぼない。そして、ストレスから逃げる先も良くなかった。逃げるという行動も悪くはないんだけど、あくまで一時的な休息にとどめる必要があり、そうしないと本当にやるべきことから逃げてしまう。やるべきことをやるための選択肢なのであるという意識がないとこうなってしまう。そして、逃げた先がスマホだと確実に戻ってこれなくなる。次から次へと新しい魅力的な情報を提供してくるスマホは、やらなければならないことなど簡単に忘れさせてくれる。これは悪い現実逃避だ。

結局、自分ができないことをできるようになるには、出来ないことが出来るようになるプロセスを知ることが重要なのである。
まず、できないことから逃げたくなる傾向があるのは仕方ないことである。それは、辛かったり、面白くないからであり、これがストレスなわけである。
その対処法としては、
まず、自分が逃げている、逃げたくなっていることを把握する。そこから、
・シンプルに考える(ゴールを意識するのではなく本当に最初の一歩目の初動を意識する)。そのためには、音楽を聴くことなどもいい手段だ。
・一旦逃げる(このときスマホだとか別のことに気を取られるようなものに逃げない)。ベッドで寝っ転がるくらいがおすすめ。
・自分で自分を鼓舞する(心の中の声でムチを打つ)。
いずれにしても自分で自分をコントロールしている。自分の意識と行動は別物ではなく、コントロールすることが可能だと認識しなければならない。
でも、一番いい方法は習慣化であると考える。習慣化に際して、私がオンライン授業中に無双した際に使った「寝ぼけ理論」というのがある。

これはネットから得た情報なのだが、人間は起床後45分で完全に覚醒するらしい。それまではいわゆる「寝ぼけた」状態にある。

私は勉強をするにしてもバイトに行くにしても「行きたくねーなー」と思うことがある。私は、そのような考えに至るのは物事を判断する自我があるからだ、と考えた。そして、そのようなことを考える判断能力がなければ?自我が無ければどうなる?と考えるようになった。そこで試行錯誤した結果編み出したのがこの「寝ぼけ理論」だ。覚醒状態にある前だと、極端に判断能力が低下しており、勉強したいかどうかや、仕事に行きたいかどうかなんてのはもってのほかだ。人それぞれにモーニングルーティンがあると思うが、それは朝だからできるのだ。起床後に顔を洗う、歯を磨くといった行動には、やるかやらないかといった判断は不要だ。なぜなら機械的に行っているから。それを用いて、我々の生活にやるべきことを組み込めばいい。起床後すぐに勉強をすれば、やりたくないだとかの判断はしなくなる。ここで大事なのは起床後すぐにやるということだ。別のことをやるとそっちに気をとられる。あと、別に早起きする必要はない。そっからやり始めれば2~3時間は余裕でできる。

そして今は早朝のバイトをすることで、「寝ぼけ理論」を活用している。つまり、今はやるべきことをするよりも金稼ぎに使っている。ここ一年悩んだのはこの「寝ぼけ理論」以外の勉強法がなかったこと、そしてストレスへの考え方の変化だ。

まぁ、人の考え方なんてしょっちゅう変わるし、その時々でアップデートしていけばいい。

 

この理論のメリットは認知資源の消耗を抑えるという点でも役に立つ。あれをやらなきゃいけないといった意識が頭に宿ると知らず知らずのうちに判断能力が消耗されていく。そうすると自分の中の躁鬱をコントロールできなくなる。

なんとなく自分のコントロール、ケアの方法が分かってきたような気がする。

今、スペース☆ダンディの四話を見ている。そうか、この一年の間、自分は腐っていたのではなく発酵していたのだ。発想一つでこうも変わる。

日々に追われなくなると自分と向き合う時間も増える。心を亡くすと書いて「忙しい」と書くが、まさしくその通りだと感じる。結局考え方次第なのだなと。

 

とりあえず楳図PERFECTIONの14歳を買った。お金を貯めるうえで大人買いするクセはなくすべきだと感じた。んじゃこれから読もっと。