楳図かずお大美術展

2月20日。この日はつばきファクトリー五周年ライブを見るために遠征したわけだが、私の目的はもう一つあった。

それは、楳図かずお大美術展に行くことである。

この方の名前や作品はなんとなく知っていたが、あまり読んだことはなかった。だが、今年の夏頃、たまたま聴いたSOLEILというバンドの「MARINE I LOVE YOU」という曲が気になり、ネットで調べた際、この曲が楳図かずお氏の「わたしは真悟」という作品をモチーフにしているというのを知った。(この曲の作詞作曲タッグと同じ脇田もなりさんの「Boy friend」という曲もめちゃくちゃいい。)サブカル心が爆発した私は、間髪入れずに全巻購入したのであった。どんな話かざっくりいうと、ある工場の工業用ロボットが心を持つという話なのだが、途中からガラッと物語が発展していき、一気に引き込まれる。SF作品としてみても面白いし、ロボットが心を持つという点ではどこか現実的でもあるし、そこから哲学的に見ても面白い。間違いなく名作だ。この作品が描かれたのはずいぶんと昔なのだが、今回の美術展でその続編が出るというのを知り、どっかのタイミングで行けたらなーと感じていた。そして、念願かなって、行くことができた。

壁一面に描かれた楳図作品の世界観と、要所要所に置かれた現代アート、そして、六本木ヒルズから見える夜景に一気に引き込まれた。だが、この美術展の一番の目玉は先にあげたわたしは真悟の続編、「ZOKU-SHINGO」であろう。漫画ではなく101枚の連画になっており、美術作品に近い。物語も非常に面白くファン必見の内容になっているのだが、なにより驚くのが、この創造性・独創性に溢れ、迫力のこもった101枚の連画を描いた楳図かずお氏が80歳を超えているという点である。

これらの作品を見て真っ先に思い出したのが、手塚治虫氏の名作ブラックジャックの「絵が死んでいる!」という回である。

ビキニ環礁の核実験により被爆した画家が被爆者の治療実績のあるブラックジャックに、死ぬ前にこの恐ろしさを伝える絵を描くために、治療後に書き上げた絵を売ることで費用を支払うという約束のもと、治療を依頼する。しかし、画家の体はあまりにも重傷で、脳と心臓を他人に移植するという手術を行うこととなる。不可能を可能にする男ブラックジャックは神業ともいえる手さばきで手術を行い、新しい肉体のもとで画家は復活する。しかし、核実験の恐怖を描こうとする画家であったが、思うような絵が描けず、その状態が一年も続いたのち、たった一つ残された脳までも放射能に侵され、病床に臥すこととなる。生死の境をさまよいながらも最後の力を振り絞り、未完成であった絵を描き上げ、まもなく画家は息を引き取った。倒れた画家を見るなり、彼が入院していた病院の医師は「手おくれでしょうな」と言った。だが、最後の仕事を終えた彼を見たブラックジャックは「いや……手おくれではなかった…………」と言うのであった。

彼が完成させた絵には、彼が見た地獄や恐怖、残酷さのイメージが描かれており、その鬼気迫る表現は、例えモノクロの漫画だろうと、その光景を我々に喚起させる。

 

今回の楳図氏の「ZOKU-SHINGO」からもそういった迫力が感じられた。一連の作品からは楳図氏の生き様、美学、哲学までも見えてくる。

楳図氏は今回の美術展に関するインタビューにおいて、人間の退化に関する危機感を述べていた。進化を退けることが退化なわけだが、齢80を超えてこのような考え方ができるというのは、非常に感心した。そして、かなりいい刺激をもらった。

 

人間の成長についてはここ最近いろいろ考える。成長のプロセスというのは、ウェイトトレーニングのようなものだと考える。自分が持てる限界に近い負荷を乗り越えることで、筋肥大し、より重い負荷も持てるようになる。これと同じで、自分に降りかかるストレスを乗り越えることで、強くなることができると考える。この考えは約二年前に読んだ「メンタル・タフネス」という本に基づいている。この本は、プロのアスリートのメンタルケアを行っているスポーツ心理学者が、スポーツ心理学を基にしたメンタルケア、コントロールの方法をビジネスパーソン向けに書いたものである。ビジネスパーソンのみならず、アスリート、学生をはじめとしたあらゆる人にお勧めしたい一冊である。

この本が画期的なのはストレスを乗り越えて強くなるというテーマにある。ストレスに対しては「逃げる」だとか「逃げてもいい」というのが近年の潮流である。まぁメンタルケアとしてはいいのかもしれない。しかし、それが人間を成長させるか、という点においてはあまり良くないのではと感じる。

このストレスを乗り越えて強くなるってのは人が成長するプロセスとしての正攻法だと思う。それ以外は突然変異みたいな感じでしか成長しないんじゃないかと感じるくらいに。んで、それを組み込んだ教育をする組織体制がいわゆる体育会系なんじゃあないかと考える。戦後のバブル経済における日本は体育会系でうまく行っていたと思うし、なんだかんだ日本人が構成する組織が結果を出すにはこれが最適解なのではとも思う。でも体育会系にも権力の集中だとか組織ぐるみの不正や汚職といった負の面もある。体育会系の賞味期限みたいなものだ。ただし、個人の成長や全体のアウトプットを考えるとやはりポジティブな面も多い。

そんな体育会系だが、近年は毛嫌いされていることの方が多い。まぁ体育会系には(第二次世界大戦中の日本軍のような)根性論や精神論がつきもので、傍から見れば宗教染みた組織になることも多い。エビデンス重視やエセ科学を鬼の首をとったように叩き上げる現代においてそういった組織は寒くてイタイ奴らの集まりだというレッテルが張られるのも無理はない。そういった世の中の雰囲気や、先にあげたようなストレスに対する意識などの社会変化もあることを考えると体育会系への風向きはあまり良くないだろう。

そんな話はさておき、この本に感化された私は大学二年次にオンライン授業を無双し、GPAを爆上げした。しかし、今年度はそうもいかなかった。その理由に先にあげたようなストレスに対する意識の違いがあったのではないかと振り返る。つまり、今年度はストレスに対しては「逃げる」という対応ばかり取っていたのである。その結果として、この一年で成長を実感したこともなければ、できなかったことができるようになるという経験もほぼない。そして、ストレスから逃げる先も良くなかった。逃げるという行動も悪くはないんだけど、あくまで一時的な休息にとどめる必要があり、そうしないと本当にやるべきことから逃げてしまう。やるべきことをやるための選択肢なのであるという意識がないとこうなってしまう。そして、逃げた先がスマホだと確実に戻ってこれなくなる。次から次へと新しい魅力的な情報を提供してくるスマホは、やらなければならないことなど簡単に忘れさせてくれる。これは悪い現実逃避だ。

結局、自分ができないことをできるようになるには、出来ないことが出来るようになるプロセスを知ることが重要なのである。
まず、できないことから逃げたくなる傾向があるのは仕方ないことである。それは、辛かったり、面白くないからであり、これがストレスなわけである。
その対処法としては、
まず、自分が逃げている、逃げたくなっていることを把握する。そこから、
・シンプルに考える(ゴールを意識するのではなく本当に最初の一歩目の初動を意識する)。そのためには、音楽を聴くことなどもいい手段だ。
・一旦逃げる(このときスマホだとか別のことに気を取られるようなものに逃げない)。ベッドで寝っ転がるくらいがおすすめ。
・自分で自分を鼓舞する(心の中の声でムチを打つ)。
いずれにしても自分で自分をコントロールしている。自分の意識と行動は別物ではなく、コントロールすることが可能だと認識しなければならない。
でも、一番いい方法は習慣化であると考える。習慣化に際して、私がオンライン授業中に無双した際に使った「寝ぼけ理論」というのがある。

これはネットから得た情報なのだが、人間は起床後45分で完全に覚醒するらしい。それまではいわゆる「寝ぼけた」状態にある。

私は勉強をするにしてもバイトに行くにしても「行きたくねーなー」と思うことがある。私は、そのような考えに至るのは物事を判断する自我があるからだ、と考えた。そして、そのようなことを考える判断能力がなければ?自我が無ければどうなる?と考えるようになった。そこで試行錯誤した結果編み出したのがこの「寝ぼけ理論」だ。覚醒状態にある前だと、極端に判断能力が低下しており、勉強したいかどうかや、仕事に行きたいかどうかなんてのはもってのほかだ。人それぞれにモーニングルーティンがあると思うが、それは朝だからできるのだ。起床後に顔を洗う、歯を磨くといった行動には、やるかやらないかといった判断は不要だ。なぜなら機械的に行っているから。それを用いて、我々の生活にやるべきことを組み込めばいい。起床後すぐに勉強をすれば、やりたくないだとかの判断はしなくなる。ここで大事なのは起床後すぐにやるということだ。別のことをやるとそっちに気をとられる。あと、別に早起きする必要はない。そっからやり始めれば2~3時間は余裕でできる。

そして今は早朝のバイトをすることで、「寝ぼけ理論」を活用している。つまり、今はやるべきことをするよりも金稼ぎに使っている。ここ一年悩んだのはこの「寝ぼけ理論」以外の勉強法がなかったこと、そしてストレスへの考え方の変化だ。

まぁ、人の考え方なんてしょっちゅう変わるし、その時々でアップデートしていけばいい。

 

この理論のメリットは認知資源の消耗を抑えるという点でも役に立つ。あれをやらなきゃいけないといった意識が頭に宿ると知らず知らずのうちに判断能力が消耗されていく。そうすると自分の中の躁鬱をコントロールできなくなる。

なんとなく自分のコントロール、ケアの方法が分かってきたような気がする。

今、スペース☆ダンディの四話を見ている。そうか、この一年の間、自分は腐っていたのではなく発酵していたのだ。発想一つでこうも変わる。

日々に追われなくなると自分と向き合う時間も増える。心を亡くすと書いて「忙しい」と書くが、まさしくその通りだと感じる。結局考え方次第なのだなと。

 

とりあえず楳図PERFECTIONの14歳を買った。お金を貯めるうえで大人買いするクセはなくすべきだと感じた。んじゃこれから読もっと。

 

2/20 つばきファクトリー メジャーデビュー5周年記念ライブ ~君ならで誰にか見せむ椿の花色をも香をも知る人ぞ知る~ 

―「好きなボランチはポジションです。」

これは今季から浦和レッズのレジェンドである阿部勇樹選手の背番号「22」を受け継いだ柴戸海選手の学生時代の迷言である。そして、彼のこの言葉を借りるとすれば

―「推しの岸本ゆめのちゃんはメンバーです。」

となる。

昨年の夏頃、つばきとjuiceに新メンバーが加入したタイミングで、既存メンバーの大幅なイメチェンが行われたわけだが、そこで岸本ゆめのちゃんはそれまでのロングヘア―をバッサリと切り、ショートカットになった。そのビジュアルに一目ぼれし、推しメンになった。

彼女はブログで、ショートカットになってもボーイッシュという印象だけじゃなくなったとおっしゃっていたが、まさしく今の彼女は女性らしい美しい魅力とボーイッシュを超越したカッコよさがある。そして、そもそも持っていたキュートな顔立ちも際立つようになり、とにかくめちゃくちゃかわいい。

イメチェン後の彼女を初めて生で見たのは2021の夏ハロコン。夏ハロコンは私自身あまり精神状況が良くなかったので詳らかに覚えていないが、四人マサユメだけは非常に印象に残っている。めちゃくちゃアツくてめちゃくちゃ盛り上がった。何なら2021年のベストアクトかもしれない。

その後に行われたつばき武道館は生で見るのは見送り、ライビュした。当時は遠征慣れしておらず、遠征が億劫になったというのが一番の理由だが、行かない理由が特段あったわけではない。今では2021年の一番の後悔になっている。一つ一つの行動がヲタク人生を左右するわけだが、私自身地方住みということもあり、たいていの現場に行けなくとも割り切っているし、それに加え、自分に都合のいいことだけをピックアップして解釈することができる、という非常に強力なヲタク適正を持っている。ただし、この武道館に関してはそれをもってしても悔いが残る結果となった。まぁそういう負の感情がその次の行動に影響を与えるからその選択も肯定できる(これが先述したヲタク適正のいい例だ)。

 

つばきファクトリーハロプロっぽくない、というのがヲタクを始めて間もない頃の印象だった。でも2021年になってそれが良いんだと感じるようになった。その要因はつばきファクトリーの二枚目のアルバム「2nd STEP」にある。アルバムを通して聴いた時のまとまりの良さ、方向性、バラエティに富んだ感じやアルバム曲の完成度などなど称賛に値する部分は多くある。2021年に一番聴いたアルバムはモーニング娘。’21の16枚目ではなくつばきだった。ハロプロっぽさの象徴でもあるモーニング娘。よりもよく聴いていたという点において私の趣味嗜好の変化が感じ取れる。

今年から音楽アプリで月ごとにプレイリストを作るようになったのだが、そこで感じたのが人間の趣味嗜好(いわゆるマイブーム(これはみうらじゅん氏が作った和製英語であることはよく知られている))は三週間ではないかということである。自分の中での流行の導入期・最盛期・終焉期という一連のサイクルは長くても三週間で完結し、そのサイクルを終えた後、もしくはそのサイクルにある中で、新たな流行が生まれ、新たなサイクルが始まる。そして、それが永遠と続いていくのだ。では、なぜその流行が長期化し、趣味へと発展していくかというと、それは同ジャンルにおける三週間のサイクルが絶えず起こり続けるからであり、それに加え、自分の中で一つの周期を終えたサイクルがリバイバルし、新たなサイクルを作り上げているからではないかと考える。これが巷でよく耳にする「沼にハマる」現象だと捉えている。そして、趣味やマイブームから冷める現象は、マイブームにおける新たなサイクルの供給が無くなったときである。

ハロプロほど歴史があるとリバイバルも含めればサイクルの連続が途切れることなんてまぁない。そんで今の自分の流行の波がつばきなのは間違いない。

 

この日は早割で新幹線で行くことにした。向かい側の前の席には私の県の住みます芸人がいたが全くテンションは上がらなかった。芸能人に会った際にとっさに盗撮してしまうようなミーハー心は、以前にエブリバディという芸人を見かけた際にすべて消費しきった。とっさに彼らにカメラを向けて写真を撮ってしまったが、あきらかに迷惑行為だしもうやめようと気づくきっかけになった。彼らの漫才で笑ったことは一度もないが、彼らには一方的に感謝している。そして、この日彼らに感謝する機会がもう一度あった。まぁ、それは後で言うとしよう。

ハーモニーホール座間の最寄り駅は相武台前駅なのだがこの日は完全に勘違いして座間駅で降りてしまった。

会場入り後即物販へ。相変わらず回転率が悪い。そして、列を誘導するスタッフの一人が明らかに顔色が悪く何度もせき込んでいて、この人今日来ちゃいけない人だろって思った。あと前方に並んでいる人達を見てAV女優の握手会の客層もこんな感じなんだろうなと思った。自分が言うことじゃないが。

 

そんなこんなで会場入り。一階C列はマジで近い。あと自分のブロックの前列が空いていたので実質最前だった。まぁ先週のオチャイベで最前慣れしていたのでそこは特に。

一曲目は低温火傷、そっからガラクタDIAMOND、約束・連絡・記念日という流れ。最前は彼女たちのコツコツというヒールの足音まで聞こえてくる。私の推しは岸本ゆめのちゃんなわけだが、間近で見るとさおりんに目が行く。つばきの花形は樹々ちゃんだとばかり思っていたが、現体制なら間違いなくさおりんだろう。

ここでライブのタイトルにかけたFCイベント要素の強い「キャメリア川柳」というコーナーが始まった。メンバーが半分に分かれて片方が自作の川柳を読み上げ、もう片方が講評するというものであった。特に印象に残ったのは、谷本安美ちゃんだった。彼女は講評する側だったがおそらく彼女が日常的に使っているであろう汚めの言葉が出ていたのがとても面白かった。彼女はギャラガー兄弟のようなファッキン系の方なのだろうと思う。ここ最近、行くぜつばきファクトリーなどを見ることで彼女たちの素の感じだったりを知ることができているわけだが、大阪メンバーのガチ関西弁だとかさおりんが通常時の声が低めのトーンなこととかあんみぃのファッキン系の言葉遣いだとかは結構面白かった。素のときの魅力で言ったらきそらちゃんが一番なんだが。

ここからライブコーナーが再開。涙のヒロイン降板劇、I NEED YOU夜空の観覧車、My Darling ~Do You Love Me~、雪のプラネタリウム、3回目のデート神話、初恋サンライズ、今夜だけ浮かれたかったという流れ。一番良かったのはMy Darling ~Do You Love Me~。単純に曲が好きってのが一番の理由だが。

最後にMCをして帰ろうレッツゴーで終了。こういう多幸感がある現場はやっぱいい。11月から12月にかけて行われた卒コンラッシュは正直あんま好きじゃなかった。いくらカラっとした雰囲気でも純粋にライブを楽しめない。

きそらちゃんのMCでも私たちの活動には限りがあるという旨のことを言っていた。それはメンバーもヲタクも分かっている。でも、彼女達が卒業したらどうなっているのかは自分も彼女たちもあまり想像できない。

卒業後のメンバーにハロヲタは興味を示さないと大森靖子氏がおっしゃったことで炎上したことは記憶に新しい。彼女は何も間違ったことは言っていない。目に見える結果として出ているからだ。岡村隆史オールナイトニッポンで炎上したのと似たようなもんだ。本当のことを言ったに過ぎない。そして反論しているのが、そのOGに興味を示していないであろうハロヲタたちであるという構図も非常に滑稽だ。まぁでもそうなるのは仕方ない。彼らは「ハロヲタ」なのだから(でなきゃ新垣里沙さんがオンラインショップを立ち上げヤフーニュースに取り上げられるはずがない)。ここ最近松浦亜弥さんが再評価されるムーブがあるが、松浦亜弥さん以降は国民的に売れたソロアイドルがいないと言われている(きゃりーぱみゅぱみゅはどうか、と議論されることもあるがアイドルヲタクを経験したことがある人ならこの議論はするまでもないだろう)。いやいや、鈴木愛理さんは?宮本佳林ちゃんは?……議論にすら上がらないのは、今の世の中を表している。正直ソロアイドルじゃ売れないんだろうな。というかもうアイドルはグループで売り出すというビジネススタイルが確立されすぎているのだろう。実際、今一番知名度のあるソロアイドルはだれかと聞かれたらぱいぱいでか美さんなんじゃないかと思うレベルだ。彼女はバラエティの腕がすごいから今の知名度があるわけで、松浦亜弥さんらをさすようなソロアイドルとは少しずれる気もする。良いソロアイドルというのは我々が、世間が見ていないだけでたくさんいるんだろう。鈴木愛理さんのアルバムも良かったし、佳林ちゃんのソロのシングルも普通にいい。あと、元Especiaの脇田もなりさんなんかもめちゃくちゃいい。ただ、メディアが取り上げて歌番組にバンバン出てってなるのはあまり想像できない。だから、私ができるのはCDやグッズを買ったり、ライブに行くという応援程度しかない。まぁこうやっていろいろ書いていく中で、このソロアイドルにとってあまりいい土壌がない時代にあえて挑戦する方々は改めてすごいと感じる。

OGに興味をなくすのとソロアイドルについては別問題なのだがまぁ一例として取り上げた。

 

というわけで今回のライブはそんな感じだった。正直タイトルが非常に凝ったものだっただけにライブが名前負けしているような気もした。

 

あ、エブリバディに感謝したと冒頭で述べていたが、それはライブ後に寄り道して帰ってた時のことだ。そこで、今日舞台上で見たとあるメンバーとすれ違った。なんなら立ち止まって振り返ってガン見してしまった。でも距離感を保ってみるだけに留めておいた。実際目の前に現れてもどうすることもできない。この時、駅で若干迷って電車を数本見送っていたのだがこれがあったことで完璧なタイムマネジメントだったなと思えた。

これがあったからか非常に満足できた一日であった。春ツアーも楽しみだ。

 

 

 

 

Hello! Project 2022 Winter ~LOVE & PEACE~,OCHA NORMA FCイベント2022 ~OCHA NORMAの間~ 2/11~12

―「研究フォーラムがあるので2/11はあけておいてください」

教授から唐突に送られたメッセージは私に絶望を与えた。このメッセージを見た瞬間、頭の中でつばきファクトリーの意識高い乙女のジレンマが流れたが、この曲の主人公のように自分のしたいことと自分のやるべきことに板挟みになるというよりは、仕方ないと割り切る気持ちが勝った。

こっちは11月中に入金まで済ませているわけなのだが、こっちはあなたのスケジュールよりも早くコンサート日程が決まっているのだが。これも大学生かと思えば飲み込めるくらいにはダメージは少なかった。なんかそういうまじめさはあるんだよな。休まないまじめさではなく、休んだら申し訳ないと思うまじめさが。日本人っぽいというべきか。他人本位のね。んでこういうまじめさに負けて心を病むことが往々にしてあるんすよ。そして、今回もそのまじめさが発現したって感じよね。

 

その変わりといっては何だが、ハロコンの翌日にある新グループのFCイベント、そしてつばきの5周年ライブを入れて、プラマイゼロに。

 

もう割り切ったというのに、2/11が近づくにつれ研究フォーラムもハロコンも開催されないんじゃないかというフラグが。期待したって無駄だと思ってた。しかし、ハロコンは何とか開催、そして、研究フォーラムがオンライン開催となったことで光(悪知恵)が見えた。

 

結果的に私は、会場付近のファミレスで研究フォーラムに参加し、途中でしれっと抜けてハロコンの夜公演に行くという選択をした。妥協点としては最善(?)。途中で抜けるという考えが浮かぶあたり、これも大学生。とにかくハロコンには全くいけないと思ってた分、ラッキーだった。

 

それに加え、OCHA NORMAイベが2公演取ってどっちも最前、つばきは高倍率ながら1階C列のチケを得るという幸運。(ハロコンに関しては2階席)

 

当日、まずは仙台サンプラザホールの近くのガストへ。そして、研究フォーラムの準備をする。今回私は特に発表はなく、聴講生枠だった。しかし、質疑応答で充てられる可能性は否めないのでファミレスで受けるのはあまりいい選択ではないようにも感じた。とはいえ、私にとって重要なのはハロコン。申し訳なさ程度にPC越しに発表を聴き始めたが、正直キツすぎて30分も聴いていられなかった。幸いにも質疑応答はなく(ならこの研究フォーラムに意味はあるのか?)、私が参加する意味もなさそうだった(そんなことはない)ので、ハロコンに行く心の準備は万全になった。椅子に座って人の話を4時間以上聴くとエコノミー症候群だとか鬱になる。もはやデジタル時代の拷問かもしれない。友人が昼公演から帰ってきたのと交代で店内を出て散歩をすることで何とかまともな精神状態に戻った。やっぱ鬱に効くのは行動療法なんだろーな。

 

そんなこんなで会場入り。仙台サンプラザホールは2階席だろうとなかなか見やすい。本当に今からハロコンが始まるのかってくらいには頭の整理がついていなかったが、それでもハロコンは始まる。

開幕は全員で46億年LOVE。最高。文句なし。OCHA NORMAは真夜中にハローの主題歌の恋のクラウチングスタート。ノリノリなハロプロファンクは聴き心地が良い。アイドルはやっぱディスコ・ファンクだなーとつくづく思う。ここ最近に関しては、ハロプロよりもEspeciaやトマパイのほうがよく聴いていたかもしれない。ビヨの新曲も前日に慌てて聞いたが、ABBAのギミーギミーだとかボニーエムのラスプーチン(おそらくネタ元?)のようなエキゾチックなディスコで割と好き。つばきは涙のヒロイン。きしもんのかっこよさがパネェ。juiceのプラスティック・ラブに関してはもはやハロプロのアイドルがこの曲を歌うべきなのか、歌ってほしいかという疑問が浮かぶくらいピンとこなかった。正直、最近のアーティスト路線はあまり刺さらない。もっと、これぞアイドルという曲が聴きたい。曲におけるアイドルらしさというのは、一種のヘタウマなのかもしれない。もちろんいい意味でだ。アイドルよりのクセがあるメンバーとアーティストよりのクセがあるメンバーが絶妙に配置されていたのがオリメンのjuiceであったと思うし、最近だとフィロのスとかもそうだ。グループとして考えるとやはりバランスが大事なわけで。まぁ、別のグループを追えばいいだけなのでこんなとこにしておく。そういえば、友人にこの話をしたところ、juiceはユーロビートなら活きるんじゃないかって言ってて、なるほどなーと感じた。アンジュは愛されルート。アンジュ武道館行って思ったのが、アンジュ曲よりスマ曲の方が好きだなーということ。まぁ、これもしゃーなし。モーニングはTeenage Solution。彼女達だけ仕上がりというかグループとしての格がレべチな気がした。実際パフォーマンスはすごい良かった。

これにはハロプロメソッドがあるからだろうと感じる。モーニング娘。は「誰かのグループ」ではなく「モーニング娘。という一つのグループ」単位でマネジメントしている。だから、個を生かすよりもグループとしての見え方の方を優先する。そして、絶えずモーニング娘。流、ひいてはハロプロ流にあてはめた人員管理とパフォーマンスを行う。田中れいなさんの卒業にあたり小田さくらさんを昇格させたのが分かりやすい例だ。工藤遥さん卒業後に加賀楓さんがボーイッシュ路線になったのもそうだ。結局は、会長の一存で決まるとうわさされる一つのフォーメーション、そして戦術を全うしているのが今のモーニング娘。なのだと考える。そうすると、昨今のパフォーマンス面での再評価はなるべくしてなったのだと考られる。今回のハロコンで彼女達だけグループとしての仕上がりが一味違うように感じたのもそのせいなのだろう。しかし、その先はどうか、個を生かすことに重きを置かないで今の形を拡大再生産することに進化はあるのか。これは私が心配することでもないし、むしろどうなるか楽しみなくらいなので今後も応援していきたい。そんなモーニング娘。でも突然変異敵に個を爆発させたメンバーがいた。そう、佐藤優樹さんだ。彼女の個というのはサッカーの試合中にリフティングをするような個の出し方のときもある。でも、それでも決めるとこはバシッと決める。だからファンがあれだけ多かったんだろうが。

こんな風にモーニング娘。を見てみると、歌割問題を嘆いている人々がいかに的外れなことを言っているかが分かる。モーニング娘。とはもとからそういううグループなのだ。

 

シャッフルメドレーは基本どれもよかった。カクゴしての豫風ちゃんがかわいかった。猪突猛進はライブで聴いたのが初だったがめちゃくちゃいいなと感じた。こういう曲をもっと聴きたいし見たい。あと、LOVE涙色は名曲すぎる。イントロが流れた瞬間この日一番アガった。

終盤のグループごとのパフォーマンスで印象に残ったのはつばきのガラクタDIAMONDとモーニングのI WISHくらいか。ラストの生まれたてのBaby Loveもなかなか良かった。

なんだかんだ今自分の中でアツイのがモーニングとつばきだなーと実感できたハロコンだった。来週のつばきとつばき、モーニングの春ツアーが楽しみになった。なにより見れると思わなかったハロコンが見れただけで個人的には大満足だったし、何なら明日OCHA NORMAもあるわけで。この日は大満足で帰路についた。

 

二日目。

前日、サウナでいうところのサウナ‐水風呂のムーブのような、極度のストレスからの最強の現実逃避によって、私はいわゆる”整った”状態にあった。目の前にある現実を放棄して入るハロコンは今までで一番くらいに清々しいコンサートだった。そして、その精神状況は次の日も続いてくれた。

仙台PITに着くと前日の客層とは一線を画すような歴戦の猛者たちが集っていたように思う。これ以上は何も言わないが。

夏ぐらいから見ていなかったハロドリを12月の回あたりからちょっとづつ見はじめ、なんとかOCHA NORMAの流れにキャッチアップしようとした。その過程で私は中山夏月姫ちゃんを推すことに決めた。

 

月姫ちゃん推しになった一番の理由は別にある。時は2021年11月にさかのぼる。アンジュの武道館の日、物販を終えて友人と開演まで時間つぶしをするためにどうせ武道館まで来たってことで靖国神社へ行こうとなった。その帰りだ。横断歩道を渡る際、向かい側から私がカバンにつけていたかっさーのメンカラのリストバンドをめちゃくちゃ見てくる女の子がいた。正直すごい視線を感じたので、その子の顔に目を当てると、マスク越しでも分かるくらい見たことがある顔だった。それは中山夏月姫ちゃんだったのだ。後ろには広本瑠璃ちゃんもいる!西崎美空ちゃんも!よく見たら8人いる。そう、当時のハロプロ研修生ユニット(8人時代)とすれ違ったのだ。その日から、その時に目が合った夏月姫ちゃんがやけに気になるようになった。それまで新グループにはあまり興味を持っていなかったが、興味を持つきっかけにもなった。OAでOCHA NORMAをみることはあったにせよ単体で彼女たちを見るのは初めてだった。

 

そんなこんなで会場入り。初めての最前。実際に席に着いてみるとその近さに驚く。そして、メンバーが登場してくるとその近さに再度驚く。1公演目は右側の最前。2公演目は左の最前だった。夏月姫ちゃんはトークコーナーは右寄り、パフォーマンスコーナーはなんとなく左多めだったのでまんべんなく見れていい感じだった。白いペンライトを振ると夏月姫ちゃんはめちゃくちゃ見てくれた。ありゃあいい。私はまだ個別イベントに行ったことが無かったが初めての個別は夏月姫ちゃんにすると決めた。

 

イベントの演目はほぼほぼ決まったやつで最初に自己紹介して決意表明を各々やってポラロイドの抽選会やってライブコーナーって流れ。自己紹介だが、そもそも事前情報をあまりインプットしていなかったので米村姫良々ちゃんのニックネームがきーたそっていってたのがボケだって気付くのにかなり時間を要した。実際きーたそって言った瞬間首をかしげてしまった。しかし、コーナーが進むにつれ彼女の立ち回りはひと際輝いていた。ボケ、ツッコミ、ガヤ、裏回しといったトークにおけるそれぞれ一人いればトークにリズムと笑いを生み、盛り上げるような役回りをほぼ一人でやっていた。なによりすごいのが、これだけの立ち回りをしておいて彼女自身が浮いていない、悪目立ちをしていない点にある。彼女の成績はわかりやすい数字で見たらあまり目立たないだろう。それこそハイライトには入らないような地味な役回りかもしれない。しかし、サッカーにおいては近年そういう立ち回りをするロベルト・フィルミーノといったいぶし銀の選手が評価されるようになっている。うん。彼女はOCHA NORMAのロベルト・フィルミーノかもしれない。ビジュアル面、スキル面、オーラや人柄、ハロープロジェクトでの実績、そのどれをとっても彼女がエースにふさわしいのは明らかだ。しかし、彼女はエースでありながら誰よりも汗をかき走り回る。あるときはエースストライカー、あるときは司令塔、あるときはファーストディフェンダーであるときはフリーキッカー。でも「彼女のグループ」ではない。そのすごさを感じるのはもっと先かもしれないが、とにかく彼女からは目が離せない。

 

決意表明のコーナーにて。彼女たちは中高生でありながら、ある人は激戦区のオーディションを勝ち抜き、ある人はハロドリで見たような厳しいレッスンをこなし、新グループとしてデビューした。そして、そういった今日に至るまでの回想とこれからの目標をそれぞれが述べた。

ここで私は感じた。自分はこの子たちと精神年齢が同じか、いや、彼女達の方が圧倒的に先を行っている。これは妬み嫉みや他人との比較ではない。よく言われるのが、たいていの人は東大生に嫉妬することが無いって話で、それは東大生のような自分とあまりにも差がありすぎる人にはもはや嫉妬といった感情は抱かないらしい。もちろん彼女達と自分を比べたわけではない。彼女達の決意表明が私に中高生くらいの自分を思い起こさせたのである。あぁ自分にもこんな時期があったなと、自分にも目標に向かってチームや個人として毎日何かに打ち込んでいたころがあったなと。それが今ではどうだ。大方の観客は彼女たちの決意表明にしんみりしていたかもしれないが、私は一人感傷に浸っていた。

人は年齢が上がるにつれて求められるもののレベルも上がってくる。それは能力的なものもそうだし、人付き合いなどの社会性も、(これには友人関係や恋愛も含められる)ただ、一番大きいのは「責任」だと思う。中高生の間はとにかくおちゃらけてそういう責任が求められる場面をのらりくらりとかわして今に至る。昔は老け顔だなんて言われていたが今は全くそうは思わない。そういう経験を経ないで生きてきたことで覇気がなくなってきたんだろう。大学に入ってからは自分ができることだけの本当に狭い範囲でしか生活していない。そんな私の生活には驚くほどに何も起こらない。そろそろ自分を見つめ直す時期だなと感じた。ここで重要なのが自己否定から始まってはいけないということだ。それじゃあ絶対に続かない。大事なのは今の自分からスタートすることだ。等身大の自分から何が必要かを考えていけばいい。あとは、こういった責任や成長が求められる場面でどうすべきか、ということだが、これは筋トレと同じだと思う。今自分が楽に持てる重さの負荷だけでは筋肉が大きくなることはない。自分が持てる重さのさらに一歩先を行くという意識を持つことが大事だ。求められるレベルというのが負荷で、もうそれに応えていくしかない。これはモグライダーの芝さんのインタビューからインスパイアされている。というかこのインタビューを読んだからこういうことを考えるようになったんだと思う。

 

次にあったのがポラの抽選会だったのだが上記のようなことを考えていたのでちょっとポカーンとしていた。自分の列が呼ばれないままどんどんくじが引かれていく。当たった人は手を挙げたりしてアピールするシステムなので必然的に注目を浴びるわけだが、当選者の一人に一時期ニュースによく出ていた現役時代清原にクスリを渡していた元プロ野球選手のような容姿の方がいて思わずこの日一番の笑みを浮かべてしまった。もうホームレスじゃん、と心の中で思ったがそこまでで留めておいた。色々衝撃的だったが、イベントに集中できるきっかけにもなったので良しとしよう。結局私の席が呼ばれることはなかったが一緒に参加した友人は二部の方で当選していた。こういうのってホントに当たるんだなーと思ったし、シンプルにすげーなってなった。

 

最後はライブコーナー。曲は二曲のみで一曲目がラーメン大好き小泉さんの唄。ノリノリな曲だがよくよく考えればめちゃくちゃ意味わかんない歌(いい意味で)だし、それを全力で歌ってる側もノリノリで聴いている側もわけわかんないなと思ったが、こういうのも良い。二曲目は恋のクラウチングスタート。昨日も聴いた曲。地続き感があって良い。一部で広本瑠璃ちゃんの指ハートを最前の真正面からくらったのがハイライトだが、私は夏月姫ちゃんを推していく。ただ、めちゃくちゃかわいかった。

 

イベントが終わる。最後の退場時に白いペンライトを振っていたら夏月姫ちゃんにしっかり目を見られ、片手で「バーン」と鉄砲を撃つようなアクションをいただいた。その時は軍モノのジャケットを着ていたので、だからなのかな?

とにかくわたしの心は固まった。推しがいてようやくヲタ活が始まるわけだが、その日の私の感想はただ一言、「OCHA NORMA始まったな」だった。

 

なんだかんだ濃い二日間だった。ハロコンに行けないかもしれないという時には心が離れている時期もあったが、それが噓のようなくらいだ。

うん。「OCHA NORMA始まったな」

12/18 MSMW 仙台GIGS

かなともの卒コン以降やや傷心気味だったが、これはヲタクならだれもが通る道であり、ハロヲタになって二、三年たってようやくその道を通っただけで、言い換えればヲタク経験値が上がったとも考えられる。とにもかくにもブルーな状態から立ち直ることができ、モーニング娘。武道館のライブビューイングを見て感動を覚え、ヲタクになったばかりのころの新鮮な気持ちを取り戻していた。この二つのライブビューイングを見る前にも続・花鳥風月とアンジュ武道館の二つの現場にも行っていたのだがそちらについては気が向いたら記事にしようかと思う。

 

東北在住の私にとって仙台で行われるライブは主な(ヲタ)活動現場である。そのため仙台GIGSで行われたMSMWについては今回のを含めると一応全通している。今回は移動等の疲労度と満足度を考慮して昼公演だけチケットをとった。

私は一応経済学専攻なのでその専門知をもってモデルを組むのならば、我々は限られた予算制約のもとでライブに行くにあたり、一回のライブから得る満足度(経済学的に言えば効用)を、ライブの消費と、移動や宿泊、食事等を含む現地での観光消費から得るとする。また、我々は予算をチケット代(を含むグッズ等のライブにかかわる費用)と移動等の遠征費用、現地での観光消費に充てるとする。ここで、消費支出におけるライブのチケット代は固定的な費用(今回はライブグッズに関する物販が無かったのでグッズ代は考慮しない)であり、それ以外の交通手段、宿泊費、食費、現地での観光消費は変動的、つまり変数であるとする。この変数の値が低ければ満足度(効用)が下がる。当たり前であるが予算が高ければ効用は増加する。満足度には精神的な満足度と疲労など身体的な満足度が含まれる。よって予算をケチる、もしくは宿泊費、移動費をケチれば満足度が下がり、そのマイナス分がライブの満足度を上回ることで、結果的に全体としての満足度がマイナスになることも大いにあり得るのである。

まぁ何が言いたいかというと色々込みでライブという非日常を楽しむわけで、何が我々に満足度を与え、何が我々の満足度をマイナスにするのかを頭に入れておくのは重要だよってことだ。

 

前々回、そして前回は田中れいな鈴木愛理石田亜佑美宮本佳林、ピンククレス(敬称略)とそうそうたるメンバーが出演したのでハロプロ現場にもまともに行っていなかった私でも行きたいと思ったし、実際すごいライブだった。このメンバーによるone two three、リゾナントブルー、ダンスでバコーン等は2021年のハイライトに入ってくる。あとは、あゆみんと鈴木愛理さんによるDISTANCEのパフォーマンスはすさまじかった(最大限の賛辞)。他にも田中れいなさんを生で見れたのは感動モンだったし、アイドルとして完璧だというのが感想。そして、上記のメンバーどの方も綺麗で美しくてかわいかった。

 

そして、今回だ。今回は、前々回、前回に引き続きの出演で、座長ポジを務める宮本佳林さん、本格的にソロ活動を始動した小片リサさん、今回初めて見るハロヲタにはまだまだ謎多きビタスイのお二方の合わせて四人のメンバーが出演する。ハロプロOGの2人は新譜のリリースが近かったのもあり、仙台に着いてからそれぞれのCDを購入、本当はライブ前に買って聴きこんでから行くべきなきもするけど、今回はそれでいい。

仙台はふらっと入れるような飲食店が牛タン屋以外は少ない。ある程度リサーチしとかないと昼時にはどこも行列になって選択肢がチェーン店しかなくなってくる。今回私はリサーチ不足で飲食店難民になりカフェでパンとコーヒーをいただき、ライブ会場へと発った。パンによる血糖値スパイクでウトウトしながら地下鉄に乗り、会場に着く。

会場ではCD販売を行っており、CDを買うと小片リサさんの直筆サイン入りポスターがもらえるらしく迷わず購入。この時点で結構テンション上がってたが今日のメインはこれからである。今回は二階席なしで一階席だけのようであった。そんなこんなでライブ開始の時刻になる。

 

一曲目は初恋サンライズ。次に初めてを経験中とつばき、juiceの曲が続きしょっぱなからぶちあがる。かりんちゃんが可愛すぎる。りさまるもかわいい。そしてビタスイの2人はキー局の女子アナ並みの美人だった。ステージ上には自分の人生では間違いなく相容れないような美人(歌もダンスも上手い)たちが歌って踊っている。私の頭の中の加藤浩次が「当り前じゃねぇからな!!この状況!!」と雄たけびを上げている。しかし、そんなことを考えている暇もないくらい最高なセットリストが続く。タンポポのカバー曲を二曲とそれぞれの持ち歌を一曲ずつ。かりんちゃんは生歌がすごい。表現力がすごい。りさまるはルビーの指輪のカバーでやはり名曲はスッと入ってくるなーという印象。彼女の湿っぽさや哀愁がこの歌に合ってるし、自分のものにしているなーと感じた。ビタスイの「だけど会いたい」はCMかなんかで耳にしたことがあるがちゃんと聞くのは今回が初めてだった。キロロや花花みたいな女性のデュエットソングという印象。

ここら辺から感じたのはペンライトを振って観ている人の方が少なかったことである。ライブが一通り終わってから、自分はなんだかんだ型にはまったヲタクスタイルでの鑑賞しかしていなかったなーと思った。振りコピ、地蔵、双眼鏡異常凝視等々鑑賞スタイルは様々であり、そこに多数派少数派はあれど、人に迷惑をかけない限り、良し悪しは存在しない。特に去年から始まった着席鑑賞スタイルでは、たいていの場合他の人に迷惑が掛かるような鑑賞スタイルはできないのでそれが顕著だった。

推しのサイリウムを振ってサビで振りコピをして…っていうのをやっていっぱしのヲタクだ、なんて思ってた。この型にはまった思考の何が悪いかというと、結局自分はステージ上のアイドルを求めているから観てるのか、アイドルのヲタクとしての自分を求めたいがために観ているのかが分からなくなってくるという点だ。前者が趣味における純粋な楽しみ方であり健全な心のあり方であるのに対し、後者はそうではないと思う。後者のような人々が結局のところ、趣味における純粋な楽しみ方を忘れ、次第にそれ以外の方向へと走っていくのではないかと思う。誹謗中傷や迷惑行為、そのほかにも承認欲求を満たしたいがために悪目立ちをしていく。後者の例の一つにカープ女子がある。というより○○女子としてメディア等に取り上げられるような人々はこぞってそうなのだ。つんく♂氏のインタビューで女性ファンをマーケットのターゲットにしてはいけないというのがあったが、カープ女子を例に挙げると氏の意見が容易に理解できるのではないだろうか。当時カープ女子だった人が今球場にどれだけいるのだろうか。考えるまでもない。あと、ここで話題にしているのは彼女らをマーケットのターゲットに位置付けて商売していくのはリスキーだよって話で、決して彼女らを揶揄しているわけではないことに注意しなければならない。

まぁそんなことを考えながら、いつもとはちょっと違う客席の光景によって自分のアイドルに対して、そして趣味というものの向き合い方について、改めて考える機会になった。

この間、千葉雅也という哲学者のの方のコラムを読んで、そこにあった印象深い話に、人間は自由を最も恐れている、なぜなら何でもできるという自由で可能性が無限大なところに放り出されると何をしたらいいのかわからず狂ってしまうからだ、というのがあった。それを考えると自分が型にはまっていたのは必然とも考えられる。何をやったらいいかわからないという人間にとって怖い状況を打開するため、何らかの型にはまることで安心を得る。それが、自分にとってのペンライトであり、振りコピであったりだったのかなと感じる。そういえば、暇と退屈の倫理学という名著にも、人間は慣れ親しんだ習慣化した生活、つまり、安定を求める一方で新たな刺激を求める生き物なのだという旨の記述を読んだ。そして、刺激を求める行動、つまり慣れていないことをする際にはたいてい不安になったり失敗することが多くそれがトラウマとなる、とも書いてあった。この話で一番重要なのは、人間がそういう生き物だということと、トラウマになろうがそれが悪いことではない、むしろみんなそれを経験しているしそれが普通であるのだということ。だから、それを恐れて慣れ親しんだルーチンしかしないと刺激を求める欲求はどうなっちゃう?…いい結果をもたらさないということは確実に言える。自分がある種習慣化していた型にはまった鑑賞スタイルをとり、不安から逃れ、失敗から遠ざかり、そこに疑問を持たずに過ごしていたのは仕方ないことだともいえる。だが、鑑賞スタイルは様々であり、多数派のやることを真似ることが自分にとって楽しいのか、そもそもアイドルのライブを純粋に楽しむことができていたのか、といった点について見つめ直すことができた。次行くライブはまた違った景色になっているはずだ。

 

ライブの話に戻ろう。今回は冬仕様のセットリストとなっており、ハロプロ史に名を刻む冬の名曲たちが一堂に揃った。印象に残ったので言うと、まず、かりんちゃんの寒いね。表現力がすごかったし、とにかく非の打ち所がない。中村俊輔の正確無比なFKのような、これを見るためにチケットをとるくらい価値がある、そんなパフォーマンスであった。ビタスイの君チャリ(こう略すのも初めて知ったくらいの知識)は思わず聴き入ってしまった。かりんちゃんとりさまるによる白いTokyoもかわいらしさ満点で最高だった。二人をバックダンサーに迎え、ビタスイ歌唱による悲しきヘブンは素晴らしかった。どこを観ればいいかわからない、目が足りないというぜいたくな悩み。結局セットリストの冬曲全部紹介することとなった。そんくらい最高だったってこと。

そしてライブは終盤へ。だが、ここからが一番盛り上がりがすごかった。まずは、ビタスイのインストール。この曲に対しては全くの無知であった。ロック調だからラベンダーの曲かな?と思ったが、帰ってから調べたらビタスイの曲でこういう曲もやるのか―と思った。次が伊達じゃないようちの人生は。かりんちゃんがこの曲をパフォーマンスしているのを生で見れてとても幸せだった。次がThis is 運命。この曲はすごい。めちゃくちゃ盛り上がる。そしてハッピークラッカー。アッパーで明るくて盛り上がる。ラストにMagic of Love。最高すぎた。やはり宮本佳林はすごい。圧巻のパフォーマンス。りさまるも自然と目が行ってしまった。ビタスイの2人も美しかったし、歌のうまさに圧倒された。特に最後のMagic of Loveの落ちサビのフェイクを田﨑あさひさんが担っていたのだが上手すぎて痺れた。あと彼女は生で見るととんでもない美人だった。こんな美人を見ていいのかと思うレベル。そんなこんなで非常に満足いくライブであった。地味に二階席がなかった分、彼女たちの目線が一階席に集中していたので表情をしっかり見れたのもうれしかった。

当初の予定通り昼公演後に会場から去る。帰路で、ライブの満足度と移動の疲労度を考慮して昼公演だけで十分楽しむことができたと自分の選択を褒めた。今まで当たり前のように2公演分のチケットを取っていたが、それが必ずしもいいわけではないという、よくよく考えればわかるようなことも今一度考えるきっかけとなった。経済学には限界効用逓減の法則というものがあり、分かりやすい例えがコーヒー一杯から得られる満足度(効用)は同じ1杯でも2杯目、3杯目と摂取量が増えていくごとに減っていくというものだ。ライブに関してはこれが絶対当てはまるわけではないが。そこらへんは自分の裁量で考えればいい。

 

ライブがあった日からもう1週間くらいたつところか、2人のCDを取り込み、バイト中にモーニング娘。がコラボしたAviotのワイヤレスイヤホンで聴く。りさまるのアルバムでいうと雨音はショパンの調べが好み。もともとビヨーンズのアツイのMVに影響されてから80'sの洋楽が好きなので、ニューウェーブらしさを感じさせるイントロアウトロのシンセサイザーがたまらない。歌詞も日本語の良さが存分に出てる含みのあって情緒あふれる詩的な歌詞でユーミンすげーなって感心。なによりりさまるの歌声と非常にマッチしている。初回盤についてるBlu-rayもこの曲がお気に入りでリピッてる。あと、原曲を歌うガゼボの1stのレコードを買って聴いていたりもする。かりんちゃんのシングルは三曲とも好き。アトロクライブでの彼女の生歌は上手すぎて興奮した。最高のライブだったし、楽しかった。とてもいい週末だった。また行きたい。

 

かなともの卒コンを見て

今日ハロプロのアイドルグループJuice=Juiceのオリメンであるかなともこと金澤朋子卒業コンサートをライブビューイングで見た。
とてもいいライブだったし、いいステージだと思った。

この日の帰りにネットを開かなければ良かった。

ハロプロのオフィシャルサイトにはかなともの新譜のセールス情報、他のハロメンのイベント情報などが次々と載せられていた。

これに対して私は、何かがおかしくないだろうかと思った。

もちろんアイドル運営は営利企業だ。ただあまりにも資本主義的な側面をメンバーの卒業コンサートの後に見てしまったせいで精神が崩壊しそうになった。

アイドルヲタクの悲しい性か。とはいえこんなのを繰り返していちゃあ正気じゃいられない。
アイドルとはそういうものだ?頭では分かってるし口ではなんとでも言える。

今年は各ツアーにつき2公演ずつくらいは行った。今んところ大学よりもハロプロ現場に行った回数のほうが多い。だから去年まではメンバーの卒業に対してはもっと関心が薄かったし、アイドルはそういうもんだと消化できてた。それと私がハマった2019年の初め辺りからモーニング娘。から卒業者が出ていないというのが大きい。だからモーニング娘。以外のハロメンの卒業に関してはどことなく他人事でいられた。

でも今年はまぁまぁコンサートに行った。しかもほぼハロコンだ。そうなるとメンバーの卒業に関しての受け止め方も違ってくる。

アップフロントは他所よりよっぽどいい事務所だと言われてる。だから何だ。

アイドルというのはある種イカれたビジネスだったんだと思わされた。じゃあどうしろと?そんな解決策はパッと出てこない。おそらく永遠に。
かといってこんなことを繰り返すのも最善とは思えない。ハロプロは20年以上の歴史がある。アイドルというビジネスにおいてここまで長く続けられてきたからにはこの会社なりのやり方があり哲学があるのだろう。しかし、今はそれを飲み込むことはできない。

何というか。死んだわけじゃないが、いわゆる喪に服すというか、もうちょい今の状況、空間を噛みしめさせてほしかった。

まぁネットを開いたのは自分。見なきゃよかっただけ。これに関しては自分が100%悪い。

ヲタクを辞めた人にはよく辞めれたなと思うし、続けている人にはよく続けてるなと思う。
でも今日の経験で少なくとも前者の気持ちは分かった。

数週間後にはモーニング娘。のまーちゃんの卒コンがある。一応ライブビューイング(チケットとれれば現地)するつもりだが、それまで私は正気のままでいられるだろうか。
もしかしたら明日には当たり前のようにハロプロの曲を聴いているかもしれない。

卒業したメンバーも卒業後も彼女たちの生活、そして人生があるように、ヲタクにもそれがある。

ハロプロが好きだ。何にも変えられないくらいの熱量だ。なにせ私にとってのスペシャルワンなのだから。
でも、しばらくはハロプロ、いや、アイドルというものはお腹いっぱいだ。というか今は受け入れられない。

夏ハロコン2021の思い出

本を読むには本を読めるだけの(安定した)精神状況が必要だ。そう感じたのは今月に入ってから、具体的には大学の後期授業が始まってからだ。今月になって本を読む気になれなかったし、手に取ったところでページをめくりたいとも思えなかった。そして、これは自分にとって異常なことだと感じるようになった。

 

大学内に友達のいない私にとってオンライン授業は決してネガティブなものではなかった。部屋で一人ラップトップに向かうことは全くもって苦でなかったし、いつもは一コマ90分の授業を資料を一瞥するだけで終わすことができたのはこの上なく効率的だった。そして、オンライン授業での成績評価はテストではなくレポート課題が多いため、普段であれば友達がいないので過去問なんて回ってくるはずもない私だが、この環境下ではそんなものは関係なくむしろそういった過去問の類に頼ろうとしてた人種ざまぁなんてことすら思ってた。

 

そんなこんなで効率的にオンライン授業を進めていった私は、2年の前期から3年の前期にかけて70単位を取得し、その期間のGPAは通算3.7超えだった。2年のうちはある程度モチベーションというか自分なりのオンライン授業攻略法を編み出したことでほぼほぼ時間もかけずにノンストレスかつ結果も出るというなかなか良い期間だったと思う。

 

でも3年になってからは結果こそ出たものの精神的にはあまり良い日々が送れなかった。その原因はゼミ、そして研究活動である。これは前期を終えた夏休みで「暇と退屈の倫理学」という書籍を読んで気付いた。以下はこの書籍を読んでの感想になる。

 

「退屈」とは平常時に思考の必要がないほど慣れ切った状態にある際脳の記憶をつかさどる部分が働くことにより起こる一種のトラウマのようなものらしい。ここで新たな刺激や興奮が得られると‟平常”時ではなくなり、脳の別の部分が働くことになる。すると、退屈は消えるんだとか。

なんてことない日常、だけど少し退屈だなと思うくらいが我々の本来の人間らしい生き方であり、そこで感じる退屈を紛らわす術として芸術や食といったものがある。

このような人間らしい生き方から逃れようとし(つまり、この生活で感じる退屈から逃れようとし)、仕事や勉強といった何かの奴隷になるときがある。就活を控えた学生が突然資格の勉強を「決断」したりするイメージだ。そして、こういった独りよがりな「決断」の多くは長続きしない(でなければこの世にダイエット本が次々に出版されることなどないはずだ)。

大事なのは退屈を紛らわす術を知り、それを探求し、自分の退屈を紛らわす術を自分の中に持っておくことだ。間違ってもこれを消費するようなことはあってはならない。浪費するのである。

 

この書籍では著者が消費と浪費について以下のように区別している。

浪費・・・必要を超えて物を受け取ること、吸収すること。必要のないもの、使いきれないものを前提としている。浪費はどこかで限界に達するので満足をもたらす。

消費・・・物に付与された(記号化された)観念や意味を消費する。物は記号化されなければ消費されない。消費の対象が物ではないので限界が無く満足をもたらさない。

 

そして消費について以下のようにも述べている。

消費社会では退屈と消費が相互依存している。消費は退屈を紛らわせるものだが同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。そしてこの消費と退屈のサイクルは最終的に拒絶反応を生む。

 

自分の退屈を紛らわすものを消費してしまえば、それすら退屈に感じてしまう。私は一時期、自分の趣味(ハロプロ)に対して、○○好きなら~~は見なきゃいけない・見るべきだという対して知りもしないネットの意見に支配され、自分が見たいかどうかという意志ではなく、そういった第三者の意見による意思でアイドルの映像を見た。

つまり、自分の退屈を紛らわすもの(趣味)を消費してしまったのである。これを見れば真の○○好き(ハロヲタ)だ、これを見なきゃ○○好き(ハロヲタ)じゃないといった文言や、このような第三者による他者性がちらつくとあらゆることが消費に変わってしまう。とあるグルメ漫画でラーメンの食べている客に対し、「彼らは情報を食べている。」といったセリフを放つしシーンが印象に残っている。でも今はそれが納得できる。グルメと呼ばれる人について、彼らは自分の意思で食べたいものを食べているのだろうか。それとも、これを食べたぞという気分になりたいから食べているのだろうか。

 

人間の行動に他者性がちらつくと消費に変わるということを頭に入れたうえで緊急事態宣言について考えてみると、行政のありとあらゆる要請が一人ひとりの行動を消費に変えるという恐ろしい政策だということが分かる。要請という比較的拘束力の弱い文言に何の意味があるのだろうと当初は感じていたが、一人ひとりの行動に他者性をちらつかせるという面では例え拘束力が弱かろうと関係ない。法的拘束力を持たずとしても予想以上に日本人が自粛に徹した結果からもこの効果はうかがえる。そして、この効果を自らの手腕と勘違いして悦に浸っている政治家たちもいただろう。あなた方は間違っている。我々の生活を何だと思っているのだろうか。

 

話を戻そう。先にあげた消費と浪費の構図を思い浮かべると、私は(いや、ほとんどの学生が)、大学を消費しているのではないかと感じた。私が欲しているのは「大卒資格」という観念であり、スキルや学問の探求といったものを欲していない。何度も言うが、消費は退屈を生む。消費のサイクルにいるうちはこの問題は見えてこない。私が3年前期に感じたやる気や思考力の低下を伴う精神的な不調は、単にモチベーションという言葉でかたずけることはできない。授業一つとってもそれは大卒資格を得るために単位をパスするための作業としか考えていなかった。でもそれは目的に合った手段ではある。

しかし、研究活動はそう簡単にいかない。私の大学では3年次からゼミに所属し、4年の終わりに卒論を提出するという流れだ。自主性もなく流れるまま生きてきた私にとってやりたいこと、研究したいことなど一ミリもない。でもゼミの先生はたいていレールを敷き最終的なゴールへのアシストをしてくれる。とはいえ自分のやりたいこと(そもそもそんなものはないのに)とは違うことの方向へ導かれ、最終的なゴールの方向(4年の終わりには卒論を書くんだろうなというゴール)は漠然と把握しているが、そのためには何をすればよいのかがわかっていない、わからない。ただ、そうしているうちにも時間は流れていく。そして、その時の流れに自分は乗れずに置いていかれ、不安が不安を呼び、だんだん自分が自分でなくなるような気がした。

 

そして、おそらくこれは鬱状態だと思う。あくまで自己判断だ。でも與那覇潤氏の「知性は死なない」という自身がうつ病にかかった際の状況を書いた(それ以外にもある。そして非常に面白い書籍だった。)書籍に書いてある状況の中にいくつか共感できる部分があったので恐らくそうなんだと思う。また、最近Twitter中央大学HPの研究活動についてのよくある質問という項目に研究活動になると何をやったらいいかわからない(つまり、順序立てて物事を考えるのが苦手な人は発達障害の疑いがあると書いてあった。別に発達障害と分かったところで私の日々は変わらない。むしろそういった自分の特徴について理解し、うまく付き合っていくのが重要なんだと思う。これについては2年のうちはよくできてた。2年のころには色々本を読んで自分についての取説的なものを作ったりといろいろ工夫していたし、授業にしても効率的にやりながら自分の頭を使って考えていた。だから成功できたのである。しかし、そんな成功体験の結果の部分だけが頭にインプットされたことで、過程の部分が飛ばされ、とりあえず何とかやればなんとかなる(成功するだろうという希望的観測で)、という考えに至っていた。そして、それのせいで失敗した。

 

そんな鬱に近い精神状況の中なんとか前期日程を乗り切り、その1週間後くらいのハロコンに行った。が、正直楽しめなかった。マサユメ、このまま等の心の底からアガる曲については覚えてるし楽しかったなーとは思うが全体を通してみれば100%楽しめたとは言い難い。夏休みという何にも追われず自分のリズムで過ごせる期間を経て、一時的には回復し、毎日読書だったり好きなことを楽しんだり、自分との対話をしたり、初めての遠征に行って一生の思い出となるような楽しい出来事も経験した。しかし、後期が始まるとまた再発した。そりゃそうだ。根本的なことを解決せず、ただ逃れることで一時的な回復をしたにすぎないからだ。

 

時間が解決してくれたのか、いや、違う。タイムリミットが近づいたことでようやく重い腰を上げ、自分の頭で考える作業をしたから何とかなったのだ。結局は自分の頭で考えて何かをやらないと意味がない。今までもそうだった。だけど結果のみにしか目を向けていない成功体験に浸っていたせいでそれを忘れていたのだ。よく、大学や高校は受かったところからスタートだ。という文言を耳にするがその通りだと思う。受かったところをゴールにすると今までの私のようになる。成功体験をどう生かすかが重要なのだろうという教訓。多分ひろゆきとかもそういう結果のみに注目した成功体験で物事を考えているのかなぁと思う。いや、彼は普通に自分の頭で考えることができるだろうし、どちらかというとそういう彼の志向を植え付けられた信者の方がそうなっていくのかな。

 

今は、自分の頭で考えるという作業を少しずつでいいからやっている。一歩一歩確実に進んでいくことが重要で、その一歩を今日は少しだけ前に踏み込んでみようという精神で毎日進んでいきたい。

 

勉学に王道なしとはいうがやはり我流を見つけ出していくしかないのだと思う。ハウツーに頼るばかりでは積み重ねがない。私は、自分の趣味について他者性を排除するためにSNSまとめサイト等をほぼほぼ見なくなった。そして、テレビも、特にワイドショーの類は一切見なくなった。趣味についてはこれでいいと思える。私は彼らの仲間になりたいのではない。つらい時期に励まされ、次第にはまっていった、いわば、私にとっての趣味は自分とその対象が一対一で向き合える時間なのである。自分の好きなものすら十分に楽しめなくなった時はさすがに自分自身を疑ったし、今こうして考えるきっかけの一つにもなっている。

 

何かうまくいかないことがあると敵を見つけそれを徹底的に避けるという方法は非常に簡単だ。よく、サッカーの監督でもチーム状況が悪くなると何人かの選手を徹底的に干すタイプがいる(モイーズ政権マンUでの香川真司はその被害者だ)。私はそれがいい方法だとは思えない。だからこそ、この、敵を見つけそれを排除するという安易な解決策に頼らないようにしたい。そのためにはあらゆることを清濁併せ吞んでインプットしていかなければならない。そして、それは非常に難しい。

 

何事も距離感が大事だ。中庸という言葉があるように、0か100かで考えないような人間になりたい。なんだかんだ中庸で人間は生きてきたし歴史を刻んできた。それを忘れちゃいけない。今こんな世の中だからなおさらね。

関東遠征~9/25続・花鳥風月 チーム鳥・花atハーモニーホール座間編~

この日は830分頃に起床。目覚ましはハロ曲以外との要望がありRock with you にした。9月は80‘sBlue eyed soulをよく聴いていたが彼らが影響を受けたモータウンなど本場のsoulを聴いてみたところ普通に好きになった。二郎インスパイア系にハマった人が本物の二郎を嫌いになるはずがないよねと。目覚ましに何かしらの曲をかけたところでどうせすぐ止めるんだけどね。そんな癖があるので目覚ましの曲がかかった瞬間東大王の伊沢並みの反応速度で目覚ましを止めた。前の日にしっかり寝付けたのもあって目覚めは悪くなかった。

 

この日午前中は空いていたので観光とお土産を買うという目的で赤レンガ倉庫に行くことにした。赤レンガ倉庫に行ったのは2nd STEPのビデオクリップで恋のUFOキャッチャーのロケ地だったからというのもある。赤レンガ倉庫に来たのは初めてだったが(天気があまり良くなかったのもあるが)自分がもう建物や景観を見ただけではテンションがあがらなくなっていることに気づいた。

 

そんな気持ちとは裏腹に会場にあるなんなのかよく分からない船の写真を撮るという旅行初心者のような行動をとってしまった。実際大学生になってから旅行らしい旅行は初めてだったので仕方ない。なにぶん自分は大学内に友達がいないからだ。自分の高校の約4分の1が同大学に進学するような代だったのでどの授業を受けても知り合いがいたのとそもそも自分自身が未熟だったというのもある。だから地元の大学に進学して実家でゆるーく暮らせるというのは良かったのかななんて思う。

 

赤レンガ倉庫ではあんまり覚えていないがアップルパイが売ってる店でアップルパイとアイスコーヒーをテイクアウトして外のベンチで食べた。なかなか美味しかったし安ビジネスホテルのインスタントコーヒーで妥協せずに良かったと感じた。ここ最近カフェイン過敏になってしまい午前中かつ500mlまでに制限をかけて飲まないと眠れないようになった。そのため私の中で一杯のコーヒーに対する価値が相対的に上がった。午後にどうしても飲みたい時はカフェインレスを飲むようにしているが味はコーヒーなのにカフェインのデメリットが全く出てこないからすごい。

 

途中そこそこの強さの雨が降ってきたのでワールドポーターズに避難。ここのゲームセンターも恋のUFOキャッチャーのロケ地だったのでちらっと見た。聖地巡礼ってこんなもんだよなと思いながら本日のコンサート会場がある座間市に向かう。

 

神奈川県といえど郊外はこんなもんかというのが座間市に降り立った際の第一印象である。田舎住みがこんなことを言ってどうするという話だけども。ライブあるあるだが人の流れになんとなく着いていけば会場に着くというのがある。今回もそのようにしたらいつの間にか会場に着いていた。今日は二公演とも2階席であった。夏ハロコンで3階席を経験したのでもうそこまで気にしなくなった。今日の目当ては私の推し(モウリーニョ風に言えばスペシャルワン)である小田さくらさんとつばきとjuiceの新メンバーである。あとはつばきの新曲。2nd STEPが個人的に好みだったのとショートカットになった岸本ゆめのちゃんにハートを撃ち抜かれた私にとってつばきの注目度は現在進行形で高まっている。そんな期待を膨らませながら席についた。メンバーが続々とステージに登場してポップミュージックのイントロが流れると一気に心は高まった。

 

つばきの新曲はカッコイイ系のダンスミュージックだった。その路線で来るか、という感想。確かに2nd STEPはバラードだったり軽快なポップスが多かったがライブで盛り上がるのはダンスミュージックだろう。後日公開された別のシングル曲もダンスミュージック路線であった。私がアイドルに求めているのはアッパーで元気になれる曲であり、あまりカッコイイ系は求めてなかったりする。それでもハロプロは私にとってスペシャルワンなのでその程度で離れるほどの熱量ではない。最近感じていたのがダンスミュージックだったりディスコやクラブミュージックに日本語歌詞はあまりハマってないんじゃないかということである。J-POPや日本の歌謡曲の良さと海外のダンスやクラブミュージックはお互いにその良さを打ち消し合うのではないかと。それについては最近読んだオリジナルラブ田島貴男氏の著書「ポップスのつくり方」にて言及されていた。いわくソウルミュージックのように歌でリズムを刻むというのは日本人にとって非常に難しいということだ。だからそこについてはたくさん研究して努力した旨が書いてあった。日本人で言えば田島貴男氏や岡村靖幸氏、そしてつんく氏は歌でリズムを刻むのが卓越してうまいと思うし、それがとても難しいことを知った。そうなるといわゆるつんくハロプロ)歌唱の意味がわかったような気がする。歌でリズムを刻むためのテクニックだったのである。改めてリスペクト。

 

チーム鳥で印象に残ったのは豫風ちゃんの初恋サイダーとシャッフルのI&YOU&I&YOU&Iだった。豫風ちゃんのソロパフォーマンスに関しては完全に会場を自分のものにしていた。歌唱力や声量は何よりアイドル性もすごかった。I&YOU&I&YOU&Iは単純に曲が好きだしメンバーが小田さんわかなちゃんあんみぃってのも良かった。かなり癒された。やはりハロプロっていいなと感じた。とにかく最高のコンサートだった。そしてその最高は半日経たずに更新された。

 

夜公演の前に会場付近で地下アイドルがハロヲタに自分たちのライブのビラを配っていた。私は受け取らなかったが友人は受け取っていた。これは二郎が好きな人に二郎インスパイア系どうですか?といっているようなものではなくクリスチャンにイスラム教どう?と言ってるような行為だぞと思ってしまった(他宗教に寛容なのはイスラム教の方なので逆かも)。それは言い過ぎか。とはいえなかなかの行動力だと感心した。もうすでに顔も名前も覚えていないので私にとってはその程度だったのだが。ハロプロ以外でいうと最近はkotoとEspeciaをよく聴いている。特にkotoプラトニックプラネットというアルバムは可愛さが詰まったテクノポップでハズレ曲が無く、今年聴いたアルバムベスト5に入るだろう作品だ。EspeciaもNO 1 sweeperやアビスなど80'sのディスコサウンドに影響を受けた楽曲が個人的にめちゃくちゃ刺さってリピートしてる。これらもめちゃくちゃいいんだけど、でも色々聞けば聞くほどつんく♂のすごさが分かるというか。やはりハロプロは私の中ではスペシャルワンなんだと感じる。

 

チーム花で印象に残ったのは有澤ちゃんがいいなってのと福田真琳ちゃんの好きっていってよのソロパフォーマンスが非常に良かったこと、譜久村さんのI&YOU&I&YOU&I I WISHが心に沁みたこと、令和の時代にペッパー刑部を生で聞くとは思わなかったこと辺りだろうか。有澤ちゃんは顔と歌声がいまだに一致しないのだがとにかく目が離せない、つまりアイドル性の高い人物だった。福田真琳ちゃんは女優のような唯一無二の雰囲気があり、パフォーマンスに引き込まれた。最高を容易に超えてくるのがハロープロジェクトだ。また行きたい。一応チーム月・風のチケットももうとってるので楽しみだ。

 

帰り道にネットでよく見るアンオフィシャルでイリーガルな路上販売の写真屋があった。実際に見るとその光景に思わず笑ってしまった。よく、ニュースの容疑者が警察に家に押しかけられ逮捕される映像で、容疑者がカメラに囲まれながら笑っているのを見る。これは、容疑者がサイコだから笑ってるのではなく、逮捕されると本当にカメラに囲まれるんだ、という目の前にある現実に思わず笑ってしまうんだそうだ。これは美人局かなんかで捕まった女性がFC2に出演していた素人(という名目)だった、というスレで得た知識だ。私が路上販売店を見てニヤついたのもそれと同じ現象だ。そして何点かの写真を購入した。オフィシャルよりいい。またもや緊急事態宣言とやらのせいでファミレスのような飲食店が空いてなかった。仕方なく海老名駅付近の商業施設にあるベンチでコンビニ飯を食べながら本日の感想を語り合った。こういう場所があるのはいいなと思った。

 

そんなこんなで友達と別れ新宿に向かい夜行バスで帰る。帰りのバスで夢精したのは内緒(テヘペロッ)。調べたところ水を飲んだ後にトイレに行かないで寝ることという夢精の基本条件に加えてバスの走行時の揺れがそれを誘発するらしい。次乗るときにいらない心配をしなくちゃならなくなった。とりあえずパンツは多めに持ってこう。

 

これにて関東遠征・完